「理想・「夢」・「虚構」

見田宗介の言う「虚構の時代」の「虚構」を大澤真幸は virtual と言い換えているけれど、fictive ではないのか、気になって確認してみた。

増補 虚構の時代の果て (ちくま学芸文庫)

増補 虚構の時代の果て (ちくま学芸文庫)

見田宗介が戦後日本社会を第一期「理想の時代」(1945〜1960)、第二期「夢の時代」(1960〜1973)、第三期「虚構の時代」(1973〜)と区分した文章は、朝日新聞の時評などをまとめた1995年の『現代日本の感覚と思想』に収録されているらしいのだけれど、これは未見。

現代日本の感覚と思想 (講談社学術文庫)

現代日本の感覚と思想 (講談社学術文庫)

2006年の『社会学入門』の第3章「夢の時代と虚構の時代」が、あとがきで、これの再録とされている。(1990年に東京都写真美術館の開館記念展の解説として書いたのが初出で、Social Philosophy of Modern Japan, 1992と『現代日本の感覚と思想』1995年に収録、と書かれている。)

社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)

社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)

戦後がどういう時代だったのか、という内容面ではなく、「理想」「夢」「虚構」の語を著者がどう定義しているのか、語法・話法に着目して読むと、結構、ややこしい文章だということがわかってきた。

「現実」と「理想」の関係は、衣食住の充足を目標と見定める戦後復興の話なので、設定された目標=理想、という用語法はわかりやすい。

ところが、「夢の時代」としての1960年代の説明のなかに、実は「夢」という言葉はほとんど出てこない。まず、自分たちが生きる現在をピンク色(バラ色ということでしょうね)と考える幸福がひとしきり指摘されて、次に60年代末の若者たちの反抗を語るところで、説明抜きに、いきなり、60年代前半が「あたたかい夢」の時代だとしたら後半は「熱い夢」の時代であった、と断定される。

1960年代の「幸福」や「反抗」が、どうして「夢」なのか?

言わずもがなである、というわけだが、おそらく、あの時代の「幸福」は、永続し得ないものをいつまでも続くと思いなして謳歌したところが「夢」の時間に似ている、とか、若者たちの「反抗」は、実現し得ない数々の要求を、あたかも約束された未来であるかのように周囲に突きつける姿が、もはや「理想」と言うより「夢物語」であろう、とか、そういう風に、くどくど説明しなくても読者がそれぞれに納得してくれるに違いない、というようなことを、著者は期待しているのだと思う。(思えば、この著者は、「夢の時代」が過ぎ去ろうとする日本の言論界に、「文化・習俗としての時間」(の比較社会学)という議論を投入して名を上げた人なのだから、彼の書いた文章を読むときに、時間・時の流れ、という観念を補助線として導入するのは、的外れではないでしょう。「現実」に「理想」を対置するのと、「現実」に「夢」を対置するのは、別の種類の時の移ろい、時の過ごし方であり、1960年代の「幸福」や「反抗」は後者とみなしうる、というのが著者の主張なのだと思います。)

そして問題の「虚構の時代」だが、1980年代の東京の変容(新宿から渋谷へ)という話は、「透明」「脱臭」がキーワードとして抽出されるなど、実 real に対する虚 fictive を語っているように思えるのだが、1990年代の幼女連続殺人事件の被告の生活(いわゆる「おたく」)を語るところでは、虚 fictive と形容しがたい仮想 virtual に著者が着目しているように見える。

これはつまり、「虚構」という単語が fictive と virtual の使い分けを曖昧にしたままで流布しはじめた1980年代以後の語法にそのまま乗っかった書き方で、だから、80年代の虚と、90年代の仮想が、本当にひとつのキーワードで包括できるのかどうか、「虚構」という単語の特殊な使われ方に依拠しているという点で、議論自体が fictive で virtual かもしれない。

学問上の仮説と見て、大丈夫なのだろうか。

「理想」の語を現実的に用いて、「夢」の語は読者との共犯関係を発動させて、「虚構」の語を定義と用例が循環する迷宮(90年代以後であれば「再帰的」と形容されるであろうような)に迷い込ませてしまうわけだから、評論的な読み物としては、平易な言葉遣いで企みに満ちている、と言えるかもしれないけれど。

(そして、日本の「人文」がそのような名前で呼ばれる内実を備えて機能していた時代には、この語は humanities の翻訳語というだけでなく、文を巧妙に操る技芸を備えた人々によって担われており、「文人の伝統」という含意があったのだ、ということかもしれず、もはや「文人」的なものの居場所が「21世紀の大学」にはないかもしれないのであれば、そのような人々によって書かれたテクストが解読不能になる前に、どこかに何らかの形で「文人」的なものを保管・継承しておいたほうがいいのかもしれないけれど。「大学」のなかで、文の技芸をアナクロニスティックに踊り続けていれば良い、というものではないでしょうから。)

[追記]

大澤真幸は、見田宗介の言う「夢の時代」を実際は「理想」と「虚構」に引き裂かれているという理由で「理想の時代」に繰り入れてしまって、「理想の時代 1945〜1973」「虚構の時代 1973〜1995」「不可能性の時代 1995〜」というアップデート版でオウム教団を読み解いているけれど、これは、時代と併走する臨床所見のようなものであったはずの文の技芸を、あたかも自律した理論であるかのようにみなして形式的に操作・精緻化しているように見える。ソクラテスというおしゃべり好きのおっさんを伝説の哲学者として物語るプラトンとか、フロイトの所見を学問化したその後の人たちとか、そういうのに似た「見田スクール」という感じがする。

その種の「教団化」の一番の大物が、のちに大澤先生によって「ふしぎ」と形容されることになるキリスト教だ、という風に、先生ご自身にも自覚がおありになるのかもしれないけれど……。

私は、むしろ、1960年代を「夢」の語で語ろうとする見田オリジナル・ヴァージョンのほうが、歴史の証言として味わい深いと思う。1990年代を無理に接ぎ木すると、せっかくの枝振りのいい幹が枯れてしまう。