ドラマと採譜

1960年代の音楽で「採譜」と聞くと、音楽学者は有り余る教養(笑)が邪魔をして過剰反応してしまったりする。阪大音楽学で山口修門下だったりするとなおさらであったりするようだ。最低でも小泉文夫やチャールズ・シーガーを思い出しちゃうわけですね。

でも、これも学会の発表で私が言ったのにスルーされちゃったことだが、西洋音楽では民族音楽学が出来る前から普通に「transcription」という言葉を使っているわけです。

派手な例はリストのピアノのための各種のトランスクリプションだけれど、

オペラや劇音楽では、もっとカジュアルにトランスクリプションをやっているじゃないか、と、昨夜トゥーランドットを見ていて思い出した。地域色を出すために民謡・俗謡をドラマに取り入れるのはかなり長い歴史があって、20世紀になっても絶えてはいない。

ゲーム・サウンド制作で色んな音楽を取り込んで世界観を作るときに、クリエイターが、いちいち「これでは自己オリエンタリズムになってしまうじゃないか」と悩まないのと同じことだろう。

そういう職人的・技術者的なニーズの大枠があったうえで、時代ごと地域ごと作家ごとの違いや何かを比較して、それを意味づけていく。あるいは、どういう経路でそういう技法が習得・伝承されているのだろうか、と探索していく。そういう手順になるはずで、やはりここでも、一足飛びに「自己オリエンタリズムという問題」を導入して何かが一挙に解決することにはならなそうだ。

      • -

先の学会の発表では、大栗裕がいかにもオーケストラで使いやすそうな書式に採譜してしまう「身体化した洋楽家」ぶりが話題になった。

彼の場合は、映画や劇音楽の演奏現場の経験が長い(大栗裕は宝塚歌劇のオケに短期間だが在籍したことがあるし、関響は10年間、京都の映画撮影所と契約して膨大な劇伴を録音している)ということもあるけれど、陸軍第四師団仕込みの吹奏楽じゃないかなあと思う。オペラなどの人気曲を市民向けの野外コンサートでさかんに演奏していたことで知られている団体だし、軍楽隊が新入りに「音楽のエクリチュール」を仕込むやり方は、問答無用に本場(フランス式)を直輸入しており、やはり陸軍第四師団の音楽隊長から京都の中学時代に音楽の手ほどきを受けた菅原明朗は、「上野の音楽学校などより、よっぽど使える本式だった」と回想している。

1960年代の日本人による採譜を語るときに、19世紀ヨーロッパ風の「トランスクリプション」概念をもちだすのは、決して「西洋中心主義」ではなく、むしろ、そのほうが対象に即して適切だ、ということがあるのです。

人は母国語だけで生きているわけではないし、だからといって、一足飛びに外国語に普遍(バベルの塔)を期待するとも限らない。