「ごん狐」の脚色

大栗裕が関西学院大学マンドリンクラブのために音楽を付けた「ごん狐」の朗読台本は新美南吉の原作そのままではなく、放送作家の上原弘毅が脚色している。

上原の台本では、合唱(大学の混声合唱エゴラド)が村人役を演じて、前半から兵十をからかう。

いかにも1962年の放送劇の発想だが、ごん狐と兵十の周囲には、村人たちの「無責任な世間」があって、兵十が盗人と疑われて村人から殴られるシーンも、原作のようなごん狐の事後の推測ではなく、舞台上で演じられる。(たぶん、このシーンを手がかりにして、上原は村人像を膨らませたのだろう。)上原の脚色では、「世間体」(うなぎを獲れなかったことを村人にからかわれた恥ずかしさ)と、母にうなぎを食べさせられなかった後悔が絡み合って、兵十がごん狐への恨みを募らせる。

「ごん狐」の受容としては、「んなこと、関西で人知れず勝手にやったことで、大勢に影響はない」話だが、大栗裕の音楽物語を伝承している人たちにとってはこれが「ごん狐」だし、こういう話に情の深い音楽を付けるのが大栗裕という作曲家なんですよね。

大栗裕のややこしさは、こういうところだ。