日本音楽学会西日本支部委員増田聡氏(大阪市立大学准教授)の昨年度の職務実態に関するささやかな質問(追加)

昨年、あなたが例会担当委員を務めた精華大学での日本音楽学会関西支部例会の準備過程で、あなたは、私が何度メールしても返事がないので、業を煮やして携帯に電話したことがありますね。そのときあなたは、視聴覚資料をDVD-Rにまとめて焼いて再生することにしたいのだが、と相談すると、

「たぶん、大丈夫だと思います。いちおう、谷口くんに聞いときますけど」

と言いましたね。

あなたは、その後、谷口くん(精華大の担当教員)に私の要望を本当に伝えたのでしょうか。それとも、私の問い合わせを「握りつぶした」のでしょうか?

ご回答をお願いします。

(このように口頭でのやりとりの「言った言わない」になるのが嫌だから、私は仕事のやりとりを原則として記録が残るメールで行うことにしています。

そもそもの前提として、メールでの問い合わせに何故メールで回答をいただけなかったのか。なぜ、こうした不透明な「言った言わない」のリスクが残る状況に、自ら進んで他人を巻き込もうとするのでしょうか?

そこが最初の躓きだと思いますので、このことについても、あわせて、所見をお伺いできれば幸いです。)

望外の幸せ

前略

増田聡様

言うまでもないことですが、この機会に、「組織における無責任と無気力の関係についての考察」をご開陳いただけるのだとしたら、望外の幸せと言うべきことであろうかと思いますので、重ねてご返答をお待ちしております。

白石知雄拝

義侠心の制御

議論が再び不毛な平行線をたどることを防ぐために付け加えさせていただきますが、

増田先生の現在の煩悶は、「無責任体質」の罠に絡め取られていることに起因するというよりも、負わなくてもいい責任を気安く請け負ってしまう一種の義侠心の空回りである可能性が高いのではないでしょうか?

そして「無責任体質」の告発は、今あなたが背負わなくてもいい、余計なおせっかいである可能性が極めて高いと思われます。

あなたが請け負っている学会の運営委員という役職は、緩やかであるとはいえ「官僚制」に近い性質を備えていますが、ここであなたが、「無責任体質」に加担してはならない、という義侠心を発揮することは、おそらく、事態をかえって悪化させると思います。

(a) 日本音楽学会が本当に「無責任体質」を病んでいる場合、あなたの運営委員という立場は、責任を負うことができない役職の最たるものです。そして、責任を負うことができない者は、間に割って入るのではなく、責任能力がある当事者間の実質的な交渉を促すべきです。

(b) 逆に、(そんなことはあり得ないと思いますが)もし日本音楽学会が官僚制にふさわしい分業と有限責任の連鎖を実現できているのであれば、あなたの例会担当という役職は、最終的な責任者である学会代表に、事態の報告とともに責任を委ねるべきでしょう。

私があなたに語っていただきたいのは、官僚制とその罠についての定型化された一般論の組み合わせではありません。

あなたは、昨年度の例会担当としての業務において、(a)の態度も、(b)の態度も採用されませんでした。

どういう思考回路で、過剰に責任を引き受けようとされたのか、あなたの思考と行動の回路における「義侠心」の働きについて、これでようやく、あなた自身による説明をお伺いできる。私はそのように期待しております。

その仕事の責任者は誰か?

私が、昨年10月に精華大学での研究発表を準備する過程で、視聴覚資料を良好な状態で使用できるかどうかの事前確認を再三要求したのは、権利者から使用許諾を受けて借り受けた視聴覚資料の運用について、責任を負っていると考えたからである。

しかし、例会担当者は、何度問い合わせても返答せず、仕方がないので、私的に知っていた携帯電話で連絡すると、「たぶん大丈夫でしょう、いちおう確認しておきますが」と言うばかりであった。

そして実際の発表では、こちらが作成したDVD-Rと、大学の映像機材の組み合わせでは解像度が合わず、視覚資料の大半は使い物にならなかった。

私は、発表者と例会当番校の間に入った例会担当者が、実際には責任を取り得ないにもかかわらず、「私の責任でうまくやります」と口約束したことが、問題の発覚を当日まで持ち越した事例であったと考えている。

当日使用できなかった資料のうち、再利用・再配布が可能なものは、既に私のウェブサイトで公表しているが、これは、「だからいい」ということではなく、私は、担当者の不手際を、こちらが尻ぬぐいした、と認識している。

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このときの例会担当者は、増田聡先生ですが、この件を、先生はどのように総括していらっしゃるのでしょうか?

先生のtwitterで、ちょうど官僚組織の「無責任体質」論が出ていたので、このタイミングで、先生のご回答をいただければ、幸いに存じます。

先生が関心を寄せていらっしゃる「無責任体質」論(在野の日本人論でこの説がさかんに言われたのは今から十数年以上前だと私は認識しています)が、現在の具体的な事例の検討において有効なのかどうか、そして、会員の voluntary な取り組みで運営されている学会組織の現状は、「無責任体質」を免れているのか、いないのか、など、議論をアクチュアルに展開する格好の素材ではないかと、当方は考えております。

当事者の一人として関与した事案が、一段落して沈静化して、なおかつその記憶が鮮明である今のタイミングは、その事案の「反省的考察」に丁度良いのではないか、とも思いますので。