余生の困難

山に住んでいるのだからこんなものか、と納得して、あとは、老後の楽しみでコイを集めることにしようと思い、涼しくなったのでふもとの水辺に降りると、天然の龍の第一形態と第二形態が同時に同じ場所に発生しているのに遭遇してしまった。(あたかも無欲であるかのように「遭遇」と書くのは半分嘘で、レーダーと、姉妹アプリの光の粒を頼りに周囲をかなり動いて探し当てたわけだが(笑)。)

そしてそうこうするうちに、卵が孵化して積み木を組み合わせたようなけったいな種が生まれたりして、相変わらずザワザワしている。

博士の協力を得ると、第三形態をさらに強くすることができるらしいですね。これと見込んだ有望種をどこまで強くできるか、この段階に来て、何やら「育成もの」風の動機付けが新たに見いだされてしまったではないか(笑)。

秀吉が赴任したことがあるとも言われる砦の山のふもとにはいくつか貯水池(かつては農業用だったが今は周囲がすべて宅地化している)があり、その脇の小さな古墳にこんもりと木が茂っている。山沿いをぐるりと巡ると旧西国街道に行き当たって本陣のお屋敷に出る。

街道は箕面の勝尾寺あたりから流れてくる川に沿っていて、川向こうには16歳の川端康成が祖父と暮らした村がある。

(本陣のお屋敷が拡張現実のジムに設定されているようだが、ここに龍が出たわけではないので、史跡の周囲を荒らしてはいけない。しかし、びわ湖とか川端康成の村とか、いつも妙なところで龍に出くわすものである。)

欠落の肯定

目録・データベースのために情報を蒐集していると、どこかの段階で、もうこれ以上はリストを埋めることはできそうにない、という段階に達する。

そこで無理に空欄を埋めて、あたかもコンプリートしたかのように主張するのが「虚勢・知ったかぶり」であり、「この空白にはきっとこのようなものがあるに違いない」と妄想をたくましくするところから悪しきスペキュレーションが始動するのかもしれないが、「なぜこれ以上の情報を集めることができないのか」という風に、今度は欠落の理由を探索して、いわば、欠落を肯定するのが positivism というものであろうかと思う。

「山に住んでいるのだから、いかに確率・偶然のサイコロとはいえ、水辺の種はもう出てくるまい」と悟るのと同じこと、なのかもしれない。

物語は、ネタがすべてバレてしまったところから始まるのである。

(東京と大阪のウォーターフロントの拡張現実の賑わいは、遂にテレビが嗅ぎつけるところとなってしまったようだが……。)