「古楽」の件

敢えて固有名詞を外して引用してみましょう。

たくましいリズムと贅肉をすべてそぎ落とした鮮明な表情は、ベートーヴェンの交響曲演奏に、新しい段階を画するものと言えよう。[……]私の脳裡には、大学紛争やベトナム戦争の頃迷い、プロテストし、破壊していた若者たちが、いまひとつの芸術的理想に結集するようになった、という図式がちらつく。権威に反発し、平等を唱え、ラフな服装で通し、年齢や性別を超えた自己主張を行なおうとした若者たち。そんな若者たち、あるいは、そんな時代と風潮の中で育った音楽好きの若者たちが、古楽器に出会い、●●という、心酔するに至る「英雄的」な指揮者に出会った。そんな感動からくるエネルギーの爆発が、●●の演奏にはある。

艶歌を讃える五木寛之みたいな文章ですが、書いたのは誰でしょう? わかったキミはクラシック・ソムリエだ(笑)。

創られた「日本の心」神話?「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史? 光文社新書

創られた「日本の心」神話?「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史? 光文社新書

1988年、ブリュッヘンと18世紀オーケストラによる「エロイカ」のライナーノートです。

まだ、こういう取り組みが「古楽」にカテゴライズされ、モダン楽器による「ピリオド演奏」という発想が一般的ではなかった時代ですから、昔といえば昔ですが、CD買って、この文章を読んで、ちょっとこれは……と違和感を覚えたのを記憶しています。

輪島先生の演歌論が出て、「初々しい衝動」が現代社会においていかに「創られる」ものなのか、ということが周知になって、古楽の歴史も、ヴァンサン・ダンディとシャルル・ホルドのスコラ・カントルムあたりから考えれば、「古い音楽」で「現代」を批判するレトリックはいったい何週目なのか、と、今なら余裕をもって反応できますが、

1980年代当時は、「古楽団体」がメジャーレーベルと契約して、ツアーをやったりするのですから、「新しい段階」ではありましたよね。こういう風にブームに火をつけるときには、それに随伴する文章も、燃えやすいものが望まれたのでしょう。

(SONYと電通が茂木健一郎を売り出したことが脳科学の宣伝に役にたった(かもしれない)のと、ちょっと似ている。)

学者は、ミュージシャンなどより世に出るのが10年か20年遅いですから、1988年に「60年代」を熱く語る時差は、まあ、そういうものなのでしょう。

音楽学者が批評をさかんに書くようになって舞い上がっていたのと、古楽の「新しい段階」が売り出されるのが同時期で、1980年代後半は一種の蜜月だったんですよね。もはやそれは、良い悪いではなく、そういうことがあった、と認めないと話が先に進まない「歴史」だと思います。

(1980年以後の音楽学会の歴史をまとめるときには、こういうトピックもちゃんと入れて欲しい。商業誌からお呼びがかかる人たちが選挙では票が集まるから役職を回しっこするようになって、でもそういう人たちは学会誌に興味がない。そうして学会がどうなったか、という風に関連づけ得るはず。)

[続きは、とりあえず書いたものは出来が悪いので書き直してあとで出す。]