反省が足りない

ピアノの音がピアノ「らしく」聞こえるためには、ハンマーが弦に当たるコツンという打撃音が要ることが知られている。(楽器のイロハ、今ではこの話は常識に属すると思う。)

そして、西洋の音は「純度が高い」と主張する人が、相当強く弦を「ひっぱたく」弾き癖の持ち主だったりする場合、どうしたらいいのかしら。

スコーンと打ち抜いて、音を耳に叩き込む奏法は、20世紀後半、いわゆる「現代音楽」全盛期に流行ったスタイルで、めちゃめちゃ強烈に「特殊」ですよ。

この状態は、特殊な薬品の臭気に包まれた実験室で毎日暮らしている人間が、「実験室は無臭だ」と思いこんでいるのに似ている。

音響学とか、シンセサイザー以来の音響の人工的な合成の試みのなかで、人はピアノの音の「らしさ」を発見した。自分自身の姿をどうすれば知ることができるか、やりかたやきっかけは色々あるということだ。

電子ピアノの音は、概してピアノの音の「らしさ」を誇張してわざとらしいけれど……、

ともあれ、他の文化との「比較」だけでは、自己の先入観を克服することはできない。自分がやってることの「結果」をフィードバックする「反省」の回路が要りそう。

しかし、そこからスタートするとしたら、話の先は長いな。

(「孤人音楽」(→ http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20131208/p2)は、反省というフィードバックの回路を遮断することで暴走を可能にしているのではないか、と私は睨んでいるのだが……。)