夢から覚めるために

[細かく加筆]

「カルロス・クライバー、重度のファザコン」説に、よくぞ言った、の思い。

クラシックの核心: バッハからグールドまで

クラシックの核心: バッハからグールドまで

たぶん、わたしたち(とあえて一括りにする)の社会は、音楽を「夢を見る手段」として過度に服用しすぎていると思うんだよね。ほぼ中毒状態。

元来、音楽の「夢を見る」以外の用途というか、音楽とのそれとは違うつきあい方がいろいろあるはずだし[←「音楽の」と「音楽との」という助詞の使い分けも重要ヨ!]、実は音を出す側、音楽家の側は、他のいろんなことを考えているような気がする。

「夢」をドラッグのように求めるお客さんと、それとは別のことを(も)色々考えている音楽家の間をどうにかつながねばならないから、間に入る業者やメディアが言いつくろったり、いろいろなフィルタを噛ませたり、大変になるのではないか。

夢から覚めるには、いろいろな手順が要るとは思うが、

とりあえず、まずはそれぞれの音楽の「効能」や「副作用」をよく確認しておこう、という本だと思う。バッハはどこが狂気じみているか、ワーグナーが音楽家として異端なのにどうして最強なのか、フルベンはどのあたりが劇薬なのか、とか、「黄色いレーベル」問題、とか。

全体像がどうなるか、ということを意識せずに、それぞれの文章が雑誌特集の個別インタビューだったから瞬発力でここまで踏み込めたんだと思う。

「そういえば最近なんだか体調がおかしいんだよね」という人も、まだ習慣化して中毒症状で神経がボロボロになってはいない人も、一読しておきたい「家庭の医学」ですね。

(「赤い激流」は1977年、小学校6年か。再放送でみた。拘置所の面談室で、紙の鍵盤を弾いて宇津井健のレッスンを受ける水谷! 毎朝音楽コンクール[←毎朝は「まいちょう」と読む]。宇津井健は死んだが、水谷豊が相棒さんとのペアで今も現役なのは、なんだか嬉しい。)