工場

19世紀のエンジニアはたぶん最先端の職業で、わたくしたちが子どもの頃もまだ、工業が「くに」を支えているのだと社会科の授業で八幡製鉄所から太平洋ベルト地帯までの「れきし」を教わり、工場見学というようなことがあったように思うわけですが、

ひょっとすると、格差が世襲されていく世の中というのは、おそらく一生、轟音のなかででっかい機械が金属を加工していたり、タンクのなかで薬品を混ぜ合わせたりする工場を見ることなしに過ごす人がいる世の中ですよね。で、既にそういう、わたくしたちが子どものころに「見学」したような典型的な「工場」というのは、どんどん見るのが難しくなっていたりするような気がしないでもない。

……ということになったときに、往年のソ連の音楽が「まるで重戦車のようだ」という風に形容して、言わんとすることが通じるのだろうか。

などとショスタコーヴィチの交響曲を聴きながら思った。