書く、と、考える

「美しい日本語」で書けないことは一切考えない、と割りきるのは、ゲームとしてならありうるのかもしれないが(古語による和歌とか)、通常、漢文脈や欧文翻訳などで拡張された領域なしに、まともに物を考えられるとは、私(←主語!ではないが)には思えない。

書く、と、考える、を混同すると、話が錯綜するのではないか?