- 作者: 国吉和子
- 出版社/メーカー: 新書館
- 発売日: 2002/06
- メディア: 単行本
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ペテルブルクのバレエの根底にあるのはノスタルジーで、「眠りの森の美女」はペローの童話を土台にしているけれども物語は前半で決着して、後半では、ただひたすら、かつてのヨーロッパの宮廷のディヴェルティスマン(とはこういうものであっただろうという19世紀人の幻想)を繰り広げるところが、衣装や装置を含めて、ロシアのバレエの代表作と言えるんじゃないか。
……というような國吉先生の説明は、突き放したような言い方ではあるけれど、なるほどそういう見方をするといいのか、と勉強になった。
モダニズムの権化のように言われるディアギレフのバレエ・リュスがこの作品をプティパの演出のままで再演しようと考えたのも、こういう風に考えると説明がつく気がする。
バレエ・リュスの登場は、西ヨーロッパのクラシック・バレエ(モダン・ダンスだけでなく)が息を吹き返すきっかけになったところがあって、それはちょうど、アメリカから来た巫女のようなイザドラ・ダンカンで古代ギリシャへの思いに胸を熱くするようなものだったんじゃないだろうか。
モダニズムが爆発した先に新古典主義やアルカイズムが出てくるのは、全部ちゃらにして再出発するセカンド・インパクトみたいなものだったのだろう。
時間は循環することなく、終わり・目的へ向かって進んでいるのだと考える人たちは、だからこそ、相当に強引・強烈な何かを人工的に投入してでも時計の針を逆に戻すことを夢見る、というようなことなのでしょうか。
現代の日本人は、特段バレエ「眠れる森の美女」のような強い麻薬を必要としていない、クダラナイ、と言われると、まあ、そうかも、とは思うけれど、したたかに酔いたい人は、薔薇のアダージォに酔いたいのだと思う。
素面で楽しむ作品、という感じはしないですね。
オーロラ姫が眠りから覚めるのと引き替えに、観客が、このままいつまでも夢のなかでまどろみつづけたい、と思ってくれたら成功だ、というような集団催眠の出し物なのかもしれない。
ワーグナーとスクリャービンの間に、いかにも両者をつなぎそうなものがある、ということではないでしょうか。
舞踊は業が深い、かもしれない……。
幻想序曲ロミオとジュリエットはホモ音楽だとの結論に達した。
でしょうね(笑)。