「言ったもの勝ち」なビッグマウスの時代がはじまる

「日本発、世界へ……これが、バンドを越えた“SUISOGAKU”」

うちの子ったら、最近こんなことばっかり言うんですのよ、まあ、どうしましょ。

ということで、シエナ発足からしばらくして、「1991年12月21日(土)発売 お早めにご予約下さい!」であるところの佼成出版社の邦人作品シリーズ第2集「ぐるりよざ」(第1集「深層の祭」に「神話」が収録されたのに続いて、こっちは「大阪俗謡による幻想曲」全曲版が入ってるよ)の広告がバンドジャーナル1992年1月号に大きく出ているのを見ると、もはや驚くというより、日本の吹奏楽の「ビッグマウス」は、新たなキャラとして確立したような気がしてくる。

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でも、部員たちは地味でマジメなのに、業界としての押し出しがとてつもなくビッグマウスである、というギャップが「日本列島 吹奏楽の旅」でお茶の間に広く知られるまでにはまだ十年以上あるんですよね。

1991年段階で、日本の吹奏楽が「大人は判ってくれない」状態だったことを象徴するのが、同年の第七回〈東京の夏〉音楽祭'91「外来音楽と日本文化〜大陸と海を渡る音〜」の最終日、7月25日、日比谷公会堂における「〈華麗なるブラスの響き〉〜吹奏楽の伝来〜」という催し物であったと言えそうだ(バンドジャーナル10月号36頁に上野晃のレポートあり)。

「第一部 幕末維新期から明治まで」「第二部 大正時代」「第三部 昭和から現代まで」という三部構成はいいとして、「現代」の曲として取り上げられたのはウェストサイド・ストーリーよりシンフォニック・ダンスと、星条旗よ永遠なれ、だったそうじゃないですか。あなた、もう時代は1991年ですよ。これではまるで、東京オリンピックの翌年に大栗裕が作曲した「日本のあゆみ」で時間が止まっちゃったかのようじゃないですか!!

クラシック音楽の企画をする偉い人たちの頭の中にある吹奏楽のイメージは、進駐軍がもたらしたアメリカの民主主義バンザイのところで止まっていたようです。

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一方、年末の日本現代音楽協会創立60周年記念東京現代音楽祭は、吹奏楽が「現代作曲家」に働きかけてきたロビー活動の成果と言うべきなのか、とっても「シンフォニックバンド」な催しだったようです。

  • 第1部:三善晃「深層の祭」 外山雄三「ラプソディ」 小山清茂「吹奏楽のための木挽歌」など7作品(石川県・津幡中学校、淀川工業高校、市立習志野高校、神奈川大学、ヤマハ吹奏楽団)
  • 第2部:現音会員(柳田孝義、兼田潮兒、篠原眞、中村滋延)による新作(国分誠指揮、東京佼成ウィンド・オーケストラ)

で、このゲンダイオンガクのイベントでは、

  • 「吹奏」……現代日本の吹奏楽
  • 「競奏」……室内楽コンクール
  • 「童奏」……新しい子どもの音楽・世界大会
  • 「響楽」……現代日本のオーケストラ音楽
  • 「電楽」……コンピュータ音楽
  • 「唱楽」……現代日本の合唱作品

という風に、各部門を漢字二文字の造語で呼んでいたらしい。(「吹奏」の実況録音はCD化されていますね。)

「シンフォニックバンド」と「現代音楽作曲家」の蜜月がこのあたりからはじまるのかなあ、と思いますし、この漢字二文字の造語のテイストは、三輪眞弘さんがライブじゃない音楽を「録楽」と呼ぶのとそっくりな発想ですよね。

威勢はいいけど、案外、ここで足が止まってこの先しばらく膠着状態が続くのか?と思わせますが、さあ、どうなるか。

(……というところですが、わたくしの目的は別のところにあるので、一連の吹奏楽ウォッチングは、ひとまずここで打ち止めです。続きはいつか別の機会に。)