都会の行列

東浩紀がデモを見学したレポートというのを眺めて、5、6年前、大阪や京都のあちこちの夏のお祭りを見学しに行った頃のことを思い出したのだけれど、ゲンロン化されないところでヒトは色々なことをやる。

天満の天神祭りは有名だけど、それとは別のタイミングの誰も気づいていない平日の昼間に、梅田のオフィス街、第4ビルとか第3ビルのあたりをお初天神の氏子の子どもさんたちの行列が練り歩いたりしてますからね。実は。

とりあえず、公道を練り歩きたい人は練り歩いたほうがいいし、見物したい人はしたらいいよ。実際に練り歩きを実現するためには、人集めとか関係各方面とのすりあわせとか、めちゃくちゃ面倒なはずで、その面倒にまつわるあれこれのほうが、「何のために練り歩くか」の話よりも興味があったりする。

お祭りの場合がそうだけど、お巡りさんの厳重なバリケードが動員されない恒例行事な練り歩きであったとしても、みだりにパパラッチ的におっかけたり、というのは、実はできるもんじゃないんだよね。「モラル」という奴は、案外そのあたりの、規則のないところで何かが整流していく感じと関わるんじゃないかと思う。

「案外」ではなく、当然そうだ、今頃何をいっておるか!なのかもしれないが。

行列(comos)が口々に叫ぶ声(ode)だから、現代の comoidia っすよねえ。山羊(tragos)を生贄に捧げる祈りの声(ode)= tragoidia と混同すると話がややこしくなりそう。