賞はあとから付いてくる

小さなトピックはすぐに忘れてしまうのでメモしておくことにします。

「関西楽壇」とでも呼びうるものが日本の音楽ジャーナリズムに出現するのはようやく昭和30年前後である、という感触がありまして、それは、武智鉄二の「悪名高い」(と朝比奈隆がのちに冗談めかして回想している座談を先日発見したところの)創作歌劇運動や、労音クラシックの隆盛、朝比奈隆がベルリン・フィルを振った!等々の話題が複合して、音楽之友社が雑誌に「関西コーナー」を作ったり、関西で何かやってたら人を派遣したりするようになることでわかるわけですが、

[そしてこの頃に作られた「関西楽壇」っぽいあれこれを、「もういらないんじゃないの」「そろそろツブせるんじゃない」と思ってる人がいるっぽい感じが、最近かなり明白にあるわけですよね、ね、ね、

心の中で思ってることは、正直に口に出して言ったほうがラクになるよ〜(笑)

「関西なんて、ライターもヒョーロンカも全部、東京から派遣して、音楽家はアジアン・ツアーのついでに一日来てもらえばいいんじゃね。東京で職にあぶれて、大阪でもどこでも自腹で取材するから書かせてください、と頭下げてくる若手、いるっしょ、そういうのを使いなよ。あと、著名人に書いていただけるならアゴ足付きでこちらが接待いたします、という関西のプロモーターがいるはずだから、そういうのをヨイショすればいいのよ。これからの関西はココだ、みたいに書いとけば、奴ら、喜ぶよ。中央メディアの露出が増えさえすれば何でもしますって、すぐにしっぽ振ってくるからサ。で、関西にそれなりに貯まってる資産を上手に吸い取るように商売するワケよ」とか、心の声がはっきり聞こえてきますヨン(笑)。ま、大正昭和に逆戻りとか、そんな感じの古いビジネスモデルだから、そういう浅い手口はすぐに馬脚を現すと思うけどね。「関西楽壇」を作るときと同じ手口でつぶそうなんてのは、半世紀何の進歩もない情けない話なわけだ。そうは問屋が卸さない。]

そんな昭和30年の毎日音楽賞は、辻久子(東京交響楽団関西公演におけるハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲の演奏に対して)、樋本栄(関西歌劇団のオペラ諸公演に対して)、内田署子(新進ピアニストとしての新人賞)というように関西の三人の音楽家に与えられたらしい。審査員にも関西の評論家が複数入っていて、戦略的に関西にスポットライトを当てようとした印象を受けます。

(このときの受賞者のうちのお二人、辻さんと内田さんは今も元気で教育・演奏活動を続けていらっしゃるのですから、スゴイですよね。)

毎日音楽賞は、柴田南雄らの若手作曲家の同人会に賞を出したり、「夕鶴」のときは作曲の團伊玖磨だけでなく大阪での初演を支えた朝日会館の十河厳が同時受賞したり、なかなか機動力のある賞だったようですね。

戦後音楽史で、毎日音楽賞(をはじめとする様々な賞)について、あまりまとまったデータを見たことがないように思うのですが、芸術祭だけじゃなかったはずで、こういうのが同時代にもっていた意味(の大きさ・小ささ)は、雑誌や何かをこまめに見ていかないと雰囲気をつかめないですね。

で、大栗裕は2年後昭和三十二年度大阪府芸術賞というのを大阪府教育委員会から受けています。大阪府・大阪市の芸術奨励システムはごちゃごちゃと変化しており、この時期の大阪府芸術賞とか大阪府芸術祭についての記録は府のホームページにも出ていないのですが、11月3日文化の日に式があったようです。

音楽界は1960年代に激変するので、敗戦/占領と輝かしい60年代の間にはさまれた昭和30年前後のことは、「三丁目の夕日」風のノルタルジーじゃないあれこれがすっかり忘れられちゃって久しいわけですけれど、前と後をつなぐただの途中経過というだけじゃなく、その時代なりにその年や過去数年の成果を総括して顕彰する作業をコツコツやっていたんですね。

大栗裕にとって、生前の受賞歴は、この大阪府芸術賞が、おそらく唯一のものです。関西音楽新聞(1956年以前は「ミュージック・アンド・バレエ」、1956〜1960年は「関西芸術」という名前だった)には、モゾモゾした大栗ブシの談話が出ています。

大栗裕氏に三十二年度大阪府芸術賞を

大栗裕氏談 私如きものが芸術賞を頂くことは全くはずかしい位です。これは朝比奈隆先生をはじめ、関響・関西歌劇団の皆様方の日頃の御指導と御協力のたまものであると思います。私も作曲については中学生の頃から誰に教わるともなく、唯書いてみたいという情熱のとりこになって書いてはいましたが、今後は更に専門的にも勉強を続け、ライフ・ワークになるようなものを一つでもいいから死ぬまでに書きたいと思っています。「赤い陣羽織」が幸にも各地で好評を頂いていますが、この「赤陣」の作曲の時には、言葉のアクセントとテンポに特に気をつけましたので、お客様にも言葉が比較的よく分って頂けることと思いますが、創作オペラの作曲には、この点に特に気をつけて書きたいと思います。

芸術賞など頂くと、精神的負担を身に感じますが、皆様の期待にそむくことのないように頑張りたいと思っています。

(『関西芸術』66(1957年11月20日号)、1頁)