柴田南雄とフルトヴェングラー

朝比奈隆・大阪フィルは1984年4月の第200回定期でフルトヴェングラーの交響曲第2番を本邦初演していて、これを7月の東京定期演奏会に持っていったらしいのだけれど、この演奏会の批評を関西音楽新聞に柴田南雄が書いていた。

大阪フィルハーモニー第二十三回東京定期演奏会 柴田南雄

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彼があの戦中戦後の困難な時期にどう身を処したかは、彼自身の行動や文書や言葉に明らかだが、このシンフォニーは同じ時期の彼の内面生活を、心情を赤裸々に語っている。音楽は理念や概念を語らない。だが、彼の感性がいかなる音楽美を理想とし、その達成と表現に彼はいかに厳格に身を待したか、また、彼の信念はいかに不屈か、それらをこの音楽は最も直裁的に表現している。彼は自分の音楽魂といったものは、音楽作品によってしか表現できないことを直観していたし、朝比奈氏がこの曲の困難な上演を使命と感ぜられたのも、おそらく、この曲にそうした意味での価値を認められたからだろう。それがわたくしの大阪での、また東京でのさらに大きかった感動の尤もな理由にちがいない。=7月2日、東京文化会館 (柴田南雄・作曲家)

(『関西音楽新聞』387(1984年8月1日号)、3頁)

奥様、「音楽魂」ですってよ。たましい、ですよ、たましい!

ゆく川の流れは絶えずして……、とポストモダン名義の「近代の超克」に転向してしまった晩年の柴田南雄には、「ロマン主義が終わるのは進歩の必然です、データがそれを示しています」とクールな音楽史を書いていた頃の面影は、もう、ない。

(こういうのも、全部「著作集」で出るのかしら。のちにN響を指揮する朝比奈を評した吉田秀和もそうだったけど、大正末生まれの東京のインテリさんは、晩年の朝比奈隆の姿に触れると、戦前から内に隠し持っていた日本版教養主義を無防備にポロリと漏らしてしまうようだ。警戒心の強い人達が、朝比奈さんを見ると油断するみたいですね。)