ワーグナーと分業・王座と官僚制

オペラの運命―十九世紀を魅了した「一夜の夢」 (中公新書)

オペラの運命―十九世紀を魅了した「一夜の夢」 (中公新書)

岡田暁生は本書で、あまり指摘されないけれどワーグナーは王になろうとした男、作曲家を劇場の王位に就けようとした男だ、という論を展開しており、これは一面を言い当てている(いた)とは思うのだけれど、パルジファルを観た帰りに、日本ワーグナー協会の皆様などが総力をあげて書いていらっしゃるプログラムの文章群を呼んでいて、(ちなみにクプファーがどう演出するのか情報が伝わっていなかったせいか「ワーグナーと仏教」をめぐる記述はどこにも、一行もなかったりするわけだが、それはともかく)台本作家としてのワーグナーと作曲家としてのワーグナーは、それぞれの作品の成立史を追っていくときれいに分けることができるらしいことに気が付いた。

そもそもワーグナーは、作曲を始める前に台本を書き上げて、それを出版しちゃいますもんね。

そのように出版された事前台本の文言を作曲段階でどれくらい変更したのか、そこを追いかけないと正確なことは言えそうにないですが、そしてそのあたりも、世界に数多いワーグナー・マニアの方々が先刻ご承知なのでしょうけれど、いずれにしても、とりあえず、先に台本を仕上げてから作曲する、という手順を設定して作業しようとすること、そういうとてもはっきりした、まるで会社経営のような「ひとり分業」が、異例に巨大な仕事を可能にしたんじゃないかなあと思ったのです。

オペラを量産した時代はそういう流れ作業がむしろ当たり前だったかもしれないですが、作曲家の地位が高くなるにつれて、同時代やそのあとのヴェルディやプッチーニやリヒャルト・シュトラウスを考えると、むしろ、分業を整然と遂行できないことが多くなるじゃないですか。

唯々諾々と台本・作曲を分業しないことこそが、一回的で個性的な「芸術」として、単なる商品ではないオペラを屹立させるためには必要なのだ、作曲家は、「悪しき台本作家」に敢然と立ち向かわなければならないのだ、というノリで、作曲家が台本作家と揉めたり修正を求めたり、お前じゃだめだ、と作曲家が台本作家をクビにした話が、オペラ成立史における「大作曲家の美談」として語り継がれたりしている。

一方どうやら、ワーグナーは、どっちも自分がやっているので、作曲家が台本作家をクビにする、あるいはその逆、というのが原理的に無理だとも言えますし、どちらの領域でも第一級の仕事ができると信じている途方もない自信家で嫌な奴だったのかもしれない(たぶんそうだったのだろう)とは思いますが、台本作家と作曲家が、ビシっと分業して、なおかつ、お互いの領分を尊重して粛々と仕事を進めるのでないとデカい仕事をやり遂げることはできないとわかっていたんじゃないかという気がします。

出来上がった作品、ならびに本人の言動は、他人を解決不可能に思える謎と混沌へと引きずり込む、と岡田暁生は言いますが、そしてそういうところがありそうですが、当人の作業現場は、当人なりに整然としていたような気がしたんですよね。

このあたり、どうなんでしょう。

ワーグナーの専門家的には、そんなはずはない、なのか、そりゃそうだ、今さら何当たり前のこと言ってるんだ、なのでしょうか。

なんとなく、「ワーグナーの工房・作業場」を探訪すると、ヒトを幻惑する魔術師めいたのではなく、このおっさんにアプローチできる糸口がありそうな気がしたのですが……。

[追記:「官僚制」(精緻な分業が特色のひとつだと思われている)というやつが、必ずしも共和政の味方というわけではなく、歴史的には、むしろ絶対的な王政のもとで整備された「王の武器」なんじゃないか、官僚制は平時の軍隊なんじゃないか、という考え方(冷戦下でブルジョワ自由主義も共産党独裁も両方どちらも拒絶しようとしたニューレフトを含む「第三勢力」さんはこういう考え方に向かうのだろうと思いますが、カラタニとか)を持ち出すと、「王座を簒奪したワーグナー」とその理想的かもしれない「ひとり分業体制」は、対立するというより、相性抜群な取り合わせかもしれませんね。カリスマ経営者とかもそうなのかもしれませんが、いわゆる「仕事のできる人」ってのは、そんなものなのかもしれない。]