関西音楽新聞

ついでに、少し関西の音楽ジャーナリズム事情を書く。

関西音楽新聞は、関西交響楽協会(関西交響楽団、現大フィル)が1954年4月に関西で実験的に公演を続けてきたオペラ・グループを「関西歌劇団」として正式に傘下の事業の柱のひとつにしたとき、「ミュージック&バレエ」の名前で創刊した一種のPR誌の後継です。いわば、いずみホールの「Jupiter」みたいなものとしてはじまったということです。(当時の関西における関響の存在は圧倒的で、この団体が関係するトピックを拾うだけでも関西楽壇が一覧できてしまうところがあって、だから、一音楽団体のPR誌とは見えないくらい情報量が膨大ですけど。)

関西音楽新聞は野口幸助さんが編集長としてずっと切り盛りしていたと言われており、1980年代に彼が大阪フィルを離れて関西歌劇団に専念するようになったときに、関西音楽新聞も大フィルから独立した事業になりました。

野口さん没後に編集長を引きついだのが元毎日新聞の白石裕史さんですが、彼は先頃亡くなったので、さてこれから関西音楽新聞はどうなるか?

いずみホールでずっと舞台監督をやっている名物スタッフ兼音楽評論家の小味淵さんが少し前から編集に入っているようなので、口の悪い大阪人は「第2のJupiterになるんじゃない?」と囁きあったりしているわけだが、さて、どうなるか。各方面のバランスに配慮した舵取りは、なかなかの難事業ではあるだろうが、彼は業界人に人望があるからね。

[……と昭和のゴシップ誌のような切り口でまとめてみた。]