修士課程修了の中途採用

「大学院」と言ってしまうと曖昧で事態が見えにくくなるけれど、鈴木涼美の功績のひとつは、博士課程(研究者修行)を修士終了で切り上げて企業に就職というコースが文系でもあり得ることをおおっぴらに世間に知らしめたことではないか。

今は「論文博士」というのをどんどんなくしていく流れになっているけれど、こういう中途での進路変更が普通にありうるコースとみなされるようになった先で、社会人修士の論文博士を認める、というような発想があってもいいんじゃないだろうか。

博士号を持つことが社会のリーダーのグローバル・スタンダードであるべきだ、というニッポン政府の建前論は、どうもあっちこっちボロボロとほころびが見えつつあるわけじゃないですか。

いきなり「博士号本位制」を目指した結果が、まるで往年の「金解禁」のような惨状を呈してしまっているのだから、ワンランク下げて、修士号をもうちょっと安定して社会で運用できるようにするほうが現実的じゃないですかねえ。学士と修士がどの程度違っているか、ということについて、世間の認識が安定したら、その先にある博士の「実勢価格」がどの程度のものかということも、おのずと、理解されるようになっていくんじゃないだろうか。

佐渡の金山みたいに、この狭い島から、そんなに大量の高純度の「博士」が採掘できる、という風には、現場の大学教員の皆さんだって、信じちゃいないわけでしょう?

細い鉱脈しかないのに無理矢理ノルマ達成を課せられたら、そら、錬金術にすがったり、混ぜ物で純度の低いものを納品するしかなくなることもあるでしょう。

銀山(修士)や銅山(学士)じゃダメなんですか。一番じゃなきゃダメなんですか(笑)。