藩と市町村と都道府県

科学アカデミーと「有用な科学」 -フォントネルの夢からコンドルセのユートピアへ-

科学アカデミーと「有用な科学」 -フォントネルの夢からコンドルセのユートピアへ-

この本は本当に読みがいがあって、たとえば18世紀における「読書公共圏」や「公論」の位置づけ、王権や官吏・アカデミー会員たちと「公論」(の担い手たち)との関係についても、クリアな理解と整理が前提になっているのがわかる。

で、さらにその背景、いわば遠景に垣間見える程度なのだが、ルイ14世の支配力についても、俗に「絶対王政」と言われているけれど、フランスの実情はとても王権の下で統合されていたとは言えそうになかったらしいことが歴史学文献を参照しながら示唆されていたりする。

(ルイ14世は、各地域・勢力を尋常なやり方ではまとめられないから、派手に威張ってカヴァーしようとした、ということなのか。)

まあ、確かにそう言われてみれば、国内が問題山積だったからこそ、都市整備などの社会問題への対策に、アカデミー会員が「有識者」として動員されたようにも見える。

(各種社会問題に本腰を入れて取り組みはじめた科学アカデミーは、これを「エコノミー」と総称したのだとか。著者は、社会科学の成立過程を考えるときに興味深いポイントとしてここに注目しているようだ。)

そして本書の範囲を外れるけれど、19世紀のフランスにおいて、共和主義的ブルジョワの方々が、場合によっては王党派への対策以上に教会対策に100年がかりで苦心したのは、王権が弱まったことで「絶対王政」以前からの懸案に直面せざるを得なくなった、ということだったのかもしれない。

十字架と三色旗―もうひとつの近代フランス (歴史のフロンティア)

十字架と三色旗―もうひとつの近代フランス (歴史のフロンティア)

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さて、そして「中央集権」のモデルみたいに長らく言われてきたフランスにして、そういう状態だったのだとしたら、日本の歴史で、秀吉の検地・刀狩りが武士と農民の身分を固定して、絶対王権相当の「近世」を実現した云々、という話や何かも、ホンマにそんなうまいこと物事が進んだんかいな、と疑ったほうがいいのかもしれない。

ここが崩れると、藩という単位の上に乗っかっていた江戸幕府とか、その区割りを統廃合した廃藩置県とは何だったのか、というのもドミノ倒し風に怪しくなってくる。

そして「大阪都構想」ですよ。

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江戸時代の藩の内実がどうだったのか、というのはひとまずおいておいて、明治政権との関係で言うと、藩を廃して県を置く、というけれど、県の数は藩の数より格段に少ないし、知事は、GHQが地方自治を実現せよと是正を指示するまでずっと内務省の人事案件で、役人が派遣されていたらしいですね。

一方、市町村のほうは、ある程度、地方自治っぽく、地域の有力者が選ばれたり、合議のしくみがあったらしい。

ということは、藩を廃して県を設置した、というよりも、藩として長く続いてきた地域のまとまりが市町村としてある程度存続しており、都道府県というのは、それらをとりまとめて監督する中央政府の出先機関として設置された、と見た方がいいのかもしれない。

明治維新のあと京都で国内初の小学校・中学校を「市」(の有志?)が作った話とか、大阪の都市行政域の拡張やインフラ整備が「市長」のリーダーシップでなされた「大大阪時代」とかいうのも、地方自治的なことは都道府県(その実態は内務省)ではなく、市町村がやるものだったと考えると腑に落ちる。

(ちなみに、我らが大栗裕は、大阪市歌の吹奏楽編曲を手がけたり、何やらアニメの舞台になっているらしい宇治市の市歌を作曲したりして、そのあたりも抜かりはありません。都道府県より市町村を重視したオッサンです。

「府立大学」になっちゃうと、もう、「市立」のときみたいに、コッピーにあらず、と胸を張ることができないかもしれないねえ……。)

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「大阪都構想」が、なんとなく捻れてすっきりしない感じなのは、そういうことが言い出されねばならない要因としての都市問題は、長年の「市の課題」(の積み残し)なのに、なぜか反対に、「府」が「市」を飲み込むプランになっているところだと思う。

都市の再生・活性化と言いつつ、政体としては、国→都道府県→市町村、という、トップダウン形式を徹底する流れを加速している。

でも、千年前に大陸から鳴り物入りで導入した律令制があっという間に破綻したり、とか、この島の歴史の上で、中央政府が市町村(かつての藩)に相当する単位を上首尾にコントロールできた例はないような気がします。

いま、行政や民間の色々な組織にいわゆる「コンサルさん」が入ってきて、末端のややこしそうなことをアウトソーシングする流れになのは、これとワンセットじゃないですかね。

建前重視ですっきりした「縦割り」でコンプライアンスな組織の体裁を整えると、必ず、色々な細部がこぼれ落ちる。そしてボロボロ色々なものがこぼれ落ちてくれたほうが、「コンサルさん」経由で業務を受注する「民間さん」は儲かるわけだ。

野放しで見えないところへ沈んでいくことになるであろう事柄を、この先、どうするつもりなんですかね。

(橋下くんの場合は、そのように「縦割り」を完遂して光り輝くのかもしれない我らがニッポンよりも、実はむしろ、そこから振り落とされたものがたまった先の領域のほうに愛着や信頼がある人なのだと思われ、そこが最大の「捻れ」なのだろうと思いますが。)