楽器奏者たち

管弦打楽器史の授業をこのところ毎年受け持っていて、パリ音楽院がベーム式フルートを採用した経緯(これがなければランパルやパユを生んだフルートのフレンチ・スクールはない)とか、シュタドラーからミュールフェルトに至る歴代クラリネット奏者と作曲家たちの関係とか、金管楽器のバルブというのは都市近代化の重要なインフラであったところの水道配管の技術ですよ、とか、そんな話をしている。

こういう楽器奏者たちの様々なうごめきを考えると、「西欧近代芸術音楽は作品中心主義であり、作曲家の一元管理の時代であった」とかいうのは、どこのヨーロッパの話やねん、という気になってくる。

そういうのをすっ飛ばして「西欧中心主義を打破すべし」「これからは音楽論ではなく聴覚文化論だ」とかぶち上げると、大阪に暮らしたことのない人による都構想みたいな空論になってしまうわけだが、

一方で現実問題として、膨大な先行文献を読破する美学者を志したり、最短距離での音楽学博士取得を目指したりすると、こういう豆知識の山を知るチャンスがないままで終わるのも事実。

千本ノックのように10年20年コンサートや音盤の楽曲解説を書き続けるとか、そういうことをしないと身につかなさそうではあるし、知っているつもりでも油断するとすぐに知識や感覚が古くなるから容易ではない。