君が代論

ふしぎな君が代 (幻冬舎新書)

ふしぎな君が代 (幻冬舎新書)

書名はあれこれ批判を招いた橋爪・大澤コンビの本を連想させるが、中身はまっとうできれいに整理されているようだった。

君が代が「練り上げられた歌である」と言うときにはゴチェフスキの論考が鍵になっていて、著者の書き方はちょっと曖昧な感じがしたのだけれど、

要するに、君が代は壱越調の律旋なのだけれど、律旋法から外れることが指摘されてきた「八千代に」のレシラソは、フェントン版を継承すると同時に、どうやら楽人たちの保育唱歌(明治の和洋折衷の試みの最古層)の定番の旋律パターンでもあるらしく(ゴチェフスキは保育唱歌の専門家です)、単旋律のなかで繊細に和洋折衷が実現していると解釈できるようだ。

かつては、「小泉文夫の理論に照らすと君が代の旋律は素性が怪しい」というような議論があって、それは結局、あとから(第二次大戦後に)創られた理論に明治の歌が合わないけれど、小泉先生が間違っているはずがないので明治の歌がおかしいと判定します、というような無茶な話だったわけだが、

旋法・旋律論は、着実にアップデートされているようですね。

日本の軍歌 国民的音楽の歴史

日本の軍歌 国民的音楽の歴史

ところで、軍歌が一種の流行歌だったことを論じた前著を読んだときから、兵隊さんが戦友の弔いの場でしばしば軍歌を歌った、という話が気になっている。

挽歌というのがあって、どうやら和歌の成立と関係が深いらしいと聞きますよね。貴人が亡くなると詩を詠み、歌ったわけだ。

現代人は、折々の心情を手製の「うた」にまとめる習慣を失っていますから、軍歌という既製品で弔うようになった。そういう風に説明できるんじゃないかという気がするのです。

[補遺]

https://www.academia.edu/14901132/2003_The_Idea_of_Kokugaku_National_Music_in_the_Meiji_Period_Japan

かつての著者の若手改革派官僚っぽさを偲ばせる文章だが……、君が代に「上からの近代化」の典型を見て距離を置く、という定番の議論があり、そっちの主張を強化する役に立ちそうなドキュメントを掘り起こしているわけですね。

でも、そこで「あるべき国歌・国楽像」とされる雅俗の混淆/技芸と心情の合一としての第二の自然、というような近代的・ロマン主義的な nation が一夜にしてできるわけじゃないし、わずか12小節といえども新しい式楽を整えるのは結構手間暇のかかることだったというのが「君が代」の教訓かもしれない。

(誰もが思いつきそうなことが実際には出来なかった、という場合には、それなりの理由があるものだ。どのみち明治初期の段階では、どの意見も、新政府のなかの対立であり、各省庁が角突き合わせるその後の官僚制度の原点みたいな議論なわけだし。)

で、辻田真佐憲の本は、とりあえず儀式の歌として作られ運用されていたにすぎない「君が代」が national な問題になったのは1937年以後だ、という含みを読み取ることができるように思う。

つまり、渡辺裕であれば「歌う国民」と呼ぶのかもしれない、音楽における nation の諸条件が昭和になってそれなりに整ったとも言えるし、ようやくそういう条件が整ったときには、既に19世紀風の牧歌的な国楽・国家論でやっていける世界情勢ではなくなっていたあたりに、この島の難しさがあるのかもしれない。

ありうべき議論が確かにあったのだ、ということを確認した上で、著者の誘いに乗って思考実験するとしたら、現状で対案を立てようとするときに足りないのは、過去に存在した議論それ自体ではもちろんなくて、これを担保に行動するエージェントを立てうるかということだろうなあとは思う。