公開収録番組の空気感

オーケストラがやって来た DVD-BOX

オーケストラがやって来た DVD-BOX

小澤征爾問題に自分のなかで決着を着けるには、やっぱりこれを見ておかないといけないのだろうと取り寄せて、ながめて、あらためて小澤征爾はテレビ向きの指揮者だったんだなあ、と思った。

振る舞いがいわゆる「天然」で、カメラを意識していない風なのにちゃんと絵になっているところが「テレビ的」に得がたいタレントだったのではなかろうか、と思ったのです。

(音楽ジャーナリズムが千代に八千代に栄えんことを願ったり、若手指揮者にその「再来」を期待したりする「アイドル=偶像」としてのオザワの原像はこれだな、という手応えがある。)

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指揮者を正面から仰角で捉えるショットは、今ではオーケストラコンサートの映像の定番だけれど、1970年代には小さな無人カメラを仕込むことができなかったようで、カメラマンが指揮台の正面にスタンバイしているのが映っていたりする。映像の編集にも色々工夫の跡があるし、テレビマンユニオンはコンサートの取り方をかなり研究していたようですね。小澤征爾の「テレビ的」なかっこよさは、そういう撮り方の成果でもあると思います。

で、子供の頃からこの番組を通じて「テレビマンユニオン」という名称を記憶していたわけだが、復刻DVDをながめていると、番組の冒頭もしくはエンディングの一番いいところ、視聴者が集中して、聴きつつ凝視している演奏にスタッフロールをかぶせる演出になっていたんですね。30分番組に目一杯コンテンツを詰め込むためにこうなったのかなあと思うけれど、結果的に、演奏を一生懸命ながめていると、自然に「テレビマンユニオン」等々の文字が記憶に擦り込まれることになったようだ。

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名場面集として編集されたDVDなのでトーク部分が少なめで、公開収録番組(70年代のテレビにはそういうのがたくさんあったですよね、ドリフや萩本欽一だけでなく)の空気感は少々薄まっているように思うけれど、それでも、山本直純のらしさの片鱗がハシバシに見える。

音楽家が一生懸命マジメに説明したのを引き取って、思い切り「庶民的」にパラフレーズする話術は、懐かしくもあるし、こういう風に、クラシック音楽を「ユニヴァーサル」なのかもしれないシリアスな層と「日本ローカル」なのかもしれないテレビ的な層の二重構造で咀嚼する発想は、他人事ではないようにも思う。

(クラシック音楽は「高級・高尚」な「キャノン」として存在している、という風な北米直輸入の「ロスジェネ話法」(サブカルチャーの逆襲(笑))になじめなかったのは、70年代のテレビのナオズミで、クラシック音楽をカジュアル化して面白がるのが習い性になっていたからかもしれない。

鍵になるのは、山本直純と、NHKで似たような番組をやっていた黒柳徹子と、あとは、片山杜秀が芥川作曲賞25周年でサントリー・サマー・フェスティバルのプログラムに寄稿した文章で言及している「百万人の音楽」以来の芥川也寸志の存在なんでしょうねえ。)

[90年代、オウム真理教の事件化以後の「ロスジェネ的」な「世界の再生」談義(→参考:http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20150813/p4)は、北米直輸入のカルスタ・ポスコロでメイン・カルチャーを撃つことを標榜していたわけだが、意図的なのか偶然なのか、そのような姿勢は60年代と結託して70年代を抑圧したような気がするんだよね。おそらくその帰結が「民主党的なもの」と仲良くなれそうになく、立憲主義を標榜するのに政党・議会とは遠いように見える「楯の会」の行動決断主義なのだろう。]

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あと、公開収録、ということに関しては、各地の公共ホールを番組が巡回する手法が、NHKのど自慢に代表されるような「おらが町にテレビがやって来た」な感じと同じなのか違うのか、というのが、この限られた映像だけだとよくわからない。

同じTBSのドリフも、全国を巡回していたわけだが……。

でもやっぱり、小澤征爾が群馬のオーケストラと継続的に仕事をした60年代は、70〜80年代の全国巡回公開収録番組を中継して「松本に国際音楽祭がやって来た」の90年代以後につながっているんじゃないかなあ、と思ってしまう。

(そして番組では、どうやら山本直純が相当な量の「編曲」を手がけていたらしいことが演奏曲目のクレジットから推察される。そういう楽譜は今も山本家に保管されているのだろうか。

大澤壽人もそうだし、放送に関わった作曲家は、相当な分量の「管弦楽編曲」をカジュアルにこなしていたはずなのだけれど、そういう仕事の意味づけは、まだほとんど手が付いていないように思う。)