窓と扉(2)

2015年は、ひとつの施設の扉を開いて、もうひとつの施設の扉の内側へと一群の資料を移動する作業にかかりきりになって、その経緯を「学者」と呼ばれる人たちの組織で報告するべく、会議室の扉を叩いたわけだが、

そのように多くの「扉」を出入りした結果わかったのは、

どうやら2015年の世間の主流は、「扉」の出入りではなく、「広場」や「ストリート」と呼ばれる「扉の外」で騒ぐことであり、人々は、狂騒状態のなかで「扉」の開閉をほとんど忘却していたらしい、ということだ。

「扉」の出入りと開閉のために具体的な手続きを行おうとすると、判で押したように、「窓」に貼り付いて、「窓口」と形容される業務にかかりきりな担当者と遭遇する。そして、大学と呼ばれる制度に人生を捧げた人々が「窓(口)」だけで物事を処理しようとする傾向は、決していわゆる事務方だけの病ではなく、教員と呼ばれる職種の人たち(彼らの集まりとしての学会)も大同小異である、というのが、2015年の私の感想で、「扉」を開けるのにえらく手間取ったりしたわけだが、私が言いたいのは、扉を開く手順が消失したわけではないはずだから、だったら、その手順を粛々と執行しましょう、ということです。

神社の「門」の内側に海の向こうから要人を招き入れた2016年が、立派な門構えを誇るだけでなく、人の出入り=普通の扉の使い方を思い出すきっかけになるといいですねえ。

そういえば、近代のコンサートホールには原則として「窓」がなく、開演に先だって、会場の扉を開く「開場」という行為が執り行われるし、「開演」とは舞台の扉を開いて、出演者が登場することであると言えるかもしれない。(劇場の舞台に扉はなく舞台裏と素通しだが、コンサートホールは音響を良好な状態に保つために、舞台側壁の扉から出入りする設計になっている。)

そして飛行機というのも、機密性を保たなければ人を乗せて飛ぶことができないので、離陸・出発とは重く分厚い扉を閉じることであり、着陸・到着とは、扉を開くことですね。だから報道陣は、扉が開いて、お目当ての人がタラップをにこやかに降りてくるシーンを撮るわけだ。

なんでみんな「窓」ばっかり眺めていたのだろう? 「扉」はとっても重要じゃないですか(笑)。

(千葉雅也先生が、同僚の吉田寛先生のことを「歴史研究」の人と形容していたのがちょっと面白いなあ、と思ったのですが、音楽におけるドイツのナショナリズムという観念・イデオロギーの吟味であるとか、「窓」の最先端(だった?)かもしれないビデオゲームの感性学であるとか、という営みが、この人の場合は、一見、課題から思い切り迂回しているようではあるけれど、無数の書物の「扉」を次から次へと開いては閉じる作業としてなされている、という風に同僚の目に映るんですよね。たぶん。)