フィクションの読み方

その広告を作ったのは広告代理店なのだから、さしあたり、追い込まれているのは「文学」ではなく、文学の広告を受注して文言をひねり出さねばならない羽目に陥った広告代理店である、と見るのが自然だろう。

テクストを読むことで得られる表象が、その表象によって指し示されている現実世界の存在たちに紐付けられるとは限らない、というところから、フィクションをめぐる議論がはじまっているらしいではないか。

私はフィクションの増殖を好まないが、現にフィクションが流布してしまっているのであれば、フィクションをフィクションとして取り扱うことにやぶさかではない。

その広告がフィクションであることを否認するかのように、「文学」が追い込まれている、と言明するよりも、追い込まれているのは広告代理店だろう、と言明するほうが、よほどフィクションという仕掛けに好意的、ということになる気がするのだが、私は何か間違ったことを言っているだろうか。

フィクショナルなテクストが介在した状態では、はたして「文学」が今どのようになっているのか、さっぱりわからない、というのが、冷静な判断ではなかろうか。

あらゆる不具合は安倍政権のせいだ、とする政治運動に似て、「文学」の周辺に巻き起こる失態はすべて「文学」が悪いのだ、という風に、自分の嫌いなものを貶める政治活動をやる、というのであれば、話は別だが。

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これは、広告のマジックサークルを否認する議論ではないし、私はあなたと知力を競うゲームに興じる気はありません。あるものをないと言い張っているのは、あなたの方ではないか、と問題提起するカウンターアクションです。

あなた、とは誰のことなのか、フィクションにふさわしく、指示対象は不明だが。