音楽の「ニュース性」

芸術新潮1980年の分をミスでチェックし損ねたので1年分飛んでしまうが、1981年から同誌がA4判になる。ART NEWS というコーナーが巻頭に設置されて、音楽にも毎回見開き2頁が割り当てられている。公演評だけでなく、論説欄があり、「音楽評論家宇野功芳は色香に迷ったか?」というような週刊誌風の囲み記事もあったりして、なるほどこれは、良い意味で「普通の雑誌」になったんだなあと思う。

ART NEWS欄ではないが、6月号には諸井誠と坂本龍一の対談があり、10月号がスカラ座初来日を報じて、11月号には妹尾河童が覗いたスカラ座の舞台裏という記事もある。なかなか好調に見える。翌年5月号には庄野進先生がケージなどアメリカの音楽家へのアンケートをとりまとめて、10月号ではバリのダルマ・サンティ歌舞団来日公演を山城祥二が紹介するなど、私たちの知っている80年代の陣容が整ってくる。

「音楽」も、アートワールドにおけるニュースショウのレギュラーメンバーとして、なかなか健闘している。テレビやラジオで、1983年に亡くなるまで、小泉文夫がタレント性たっぷりに露出していた時代である。

しかしこの小康状態は2年で終わる。

1983年1月号から ART NEWS に音楽の枠がなくなり、70年代後半から続いた「スターダスト」で音楽家が紹介されることもない。まるで、人気のないタレントが降板させられたかのようだ。

美術のほうで「パトロンからスポンサーへ」という論説が出ているし、その後の成り行きを既に知ってしまっている現在から眺めると、アートが、70年代風に投資して蓄積する「資産」ではなく、「記号」として「消費」されはじめており、旧来の「音楽」は「商品」としての魅力に乏しいと判定された、ということかと思う。

1981年に坂本龍一と対談した諸井誠が1983年1月号からコラムを連載して「音楽」の孤塁を守り、2年振りに坂本龍一と再び対談したりしているが、いかにも苦しい。この連載コラムが12月に終了して、1984年の芸術新潮は、「音楽」を取り上げない雑誌になってしまう。

(ひとまずここまで、もう少し続きます。)