80年代の世代論とマッチョの正体

芸術新潮1985年1月号は「われら昭和世代の美感」という特集を打ち、38人に執筆させている。東野芳明のような同誌の常連もいるが、辻井喬、澁澤龍彦、吉田喜重、池田満寿夫、横尾忠則、赤瀬川原平、唐十郎といった普段は取材されるだけのスターたちがいて、中沢新一、四方田犬彦、野田秀樹、如月小春、日比野克彦、杉浦日向子といった80年代な人々の名前も見える。

思えば、文学の「第一次戦後派」から「第三の新人」までのグループ分けは、作家たちが登場した時期を指し、第一次戦後派は実際はみんな大正生まれだ。生まれた年代で言うときには、1910年以前生まれ=戦前派、1910〜20年代生まれ=戦中派、1930年代以後生まれ=戦後派、という言い方がよくされたとも聞く。生まれた年代自体を表に出した「昭和世代」というのは、あまり見ない。たぶん、視界から「大正世代」を一掃したい、という当時の願望の表れなのだろう。年功序列終身雇用の末期症状だと思う。サラリーマンの実感に依拠した誌面作りの象徴に見える。

そしてそのような「昭和世代」が、これから入社試験で面接して採用しなければいけないのだけれど、どう応対したらいいのかわからない生態を示す80年代のモラトリアムな大学生たちが「新人類」と呼ばれたわけだ。

そういう意味では、80年代は、史上初めて、大卒サラリーマンを前提とした世代論がおおっぴらに語られるようになった時代だったのかもしれない。

(90年代には、すぐにその反動が来るわけだが。)

このような80年代の世代論は、消費の快楽とか受容者の創造性とかいうことが言われ始めた時代であることを思えば、なおさら奇妙だ。

文学の世代論は、作品が出た年代に着目する成果主義。戦前派・戦中派・戦後派でパーソナリティを区別するのは、成人した年代(=育ち方)に着目する一種の教養主義。生まれた年代で世代を輪切りにするのは、DNA至上主義に似た疑似生物学だと思う。80年代都市文化の一億総サラリーマンのお花畑は、「個体差」をスタートラインの初期値に集約したがっていたようだ。

80年代の消費社会論や受容美学が疑似科学(のちに「知の欺瞞」で批判されるような)に依拠して怪しげである、というのは、こういうところにも現れている。

そしてもうひとつ気になるのは、この時期の芸術新潮が、恥ずかしげもなく「男の○○」とか「残したい日本」とかというような、今から見るとマッチョな保守に見える特集を組むこと。

上記の世代論と合わせて、今日私たちが「昭和のオッサン」でイメージするものは、長い昭和の最後の10年で顕在化した何かに過ぎない可能性がある。90年代以後のリベラルの足腰が弱いのは、ターゲットに設定した「保守」の底が浅いからかもしれない。「保守」にせよ「昭和」にせよ、その前の蓄積が膨大にある。