メディア論の急速な経年劣化

昭和天皇の玉音放送は、50年以上過ぎてようやくラジオ放送として分析が施されるようになった。そして同じ人物の死をめぐる報道と社会現象については、商売気のある社会科学者が「フィールドワーク」と称して嬉しげに様々なデータをリアルタイムに集めて、その後10年くらい、様々な分析を「業績」として公表した。

その跡継ぎになった人物の「個人としての見解」のテレビ放送の「解析」が、コンピュータネットワークを介したコミュニケーションを無上の楽しみとする人々の恰好のネタになるのは、天皇制にメディア論のアングルからアプローチしても、もう何も出て来ない、ということで、メディア論(テクスト論を含む)の終焉を予感させる兆候的・象徴的な出来事はあっても、天皇制(そこでは「象徴的」という比喩ではない「シンボル」の運用が問題になっている)の存亡とは、ほとんど何も関係ない。