ポスト・ネタバレ

宙づり状態(サスペンスとはそういう意味ですよね)で人を惹きつける手練手管があるのはわかるけれど、宙づり状態を作り出す仕掛けや結末がわかってしまったあと(つまりネタバレ以後)に、なおかつ、その現象とつきあい続けるとしたら、それは何によってなのか。

すべては惰性である、というシニシズムは極論だろうと思うし、それは美である、というとアートっぽくなって、萌えである、というとオタクっぽくなるわけだが、いずれにしても、ポスト・ネタバレの地点までたどり着かないと、その現象の感性的な議論にはならないんでしょうね。