Camellia japonica

家の前に大きな実を付けている木があって、何かと尋ねたら、椿だと母が教えてくれた。

17世紀にオランダ商館員のエンゲルベルト・ケンペルがその著書で初めてこの花を欧州に紹介した。後に、18世紀にイエズス会の助修士で植物学に造詣の深かったゲオルク・ヨーゼフ・カメルはフィリピンでこの花の種を入手してヨーロッパに紹介した。その後有名なカール・フォン・リンネがこのカメルにちなんで、椿にカメルという名前をつけ、ケンペルの記載に基づきジャポニカの名前をつけた。

ツバキ - Wikipedia

日本が原産で、camellia は人名(Georg Joseph Kamel 1661-1706)にちなんでいるんですね。

それがどうして、19世紀に La dame aux camélias という小説がパリで書かれたのかというと、それも書いてあった。

19世紀には園芸植物として流行し、『椿姫』(アレクサンドル・デュマ・フィスの小説、またそれを原作とするジュゼッペ・ヴェルディのオペラ)にも主人公の好きな花として登場する。

ヨーロッパの園芸(切り花)の歴史がどうなっているのか、私は知りませんが、椿は東洋のバラ、みたいなイメージだったのでしょうか?

フランス語の綴りは camellia と camélia の両方があり得る、など、周囲に色々な豆知識が見つかる。ヴェルディのオペラがなぜ La traviata (道を踏み外した女)になってしまったか、という定番のお話(検閲をめぐる)以外にも、曲目解説に使えそうなトピックが色々ありそうだ。

メリメ「カルメン」が1845年でビゼーのオペラは1874年。デュマ・フィスの「椿姫」が1848年でヴェルディのオペラは1853年。赤い薔薇と白い椿。デュマはメリメを読んでいて、一方、ビゼーはヴェルディを当然知っていた、みたいな関係と考えて良いのだろうか。


(ちなみに、「椿姫」は原題も「椿婦人」だが、黒澤明の「椿三十郎」は欧米では Sanjuro であるらしい。La dame aux camélias があるので、「椿の男」や「椿の侍」では別の連想が働いてしまうのかもしれない。)