隠すこと/隠さないことの差異はそれほど重大なのか?

何かを隠すことに対して、それが不正であるかのように義憤を覚えるのは、何かを隠すことが、不備や混沌を完全や秩序であるかのように見せかける行為だと思い込んでいるのだろうけれど、ヒトが意図的に隠していることなど、別に大したことではない場合が実はかなり多いのではないか。

つまり、隠れているところにこそ深遠な何かがある、と考えるのはゼロ年代風に言えば「中二病」に過ぎないのではないか、と思うのです。

見えているものがどうでもいい場合、その周囲を暴いたところで大したものは出て来ない。