安易に「問題」化してはいけない

知らないこと、経験が欠けていたり失われていたりすることは、「私には経験が欠けている/既に経験が失われている」と書けば済むことであり、欠けていたり失われていたりするものを、今も手元に存在するかのように語るところから「知ったかぶり」がはじまる。

それは、歴史記述のイロハに過ぎず、欠落や喪失を取り繕うチンケな自意識に「歴史学問題」などという大げさな名前を付けてはいけない。「歴史学問題」という大仰な語彙を導入するところから、既にあなたの「知ったかぶり」が始まっていると言うべきであろう。「歴史学問題」に取り組んだ経験がある者は、おそらく、安直にこの語を使って、何かを言ったようなつもりにはならないはずだ。

「若い頃、物語批判で知られる蓮實重彦をノート取りながら熟読した」と豪語する人物にしてこれだ、というところに、日本の知性の絶望がある、と言うべきか。