浮世絵にも輸出用のローカライズがあったのですか?

増田氏の思いつきに乗せられて、ゲーム研究者がうっかり、日本のゲームは既に「浮世絵化」している、と断定してしまっているが、徳川時代の浮世絵は、現代のビデオゲームのように、輸出を前提に生産されるに至っていたのだろうか? もしそういう事実があるのだとしたら、徳川時代も、鎖国といいつつ、なかなかしたたかに国際化していたではないか、ということになりそうだけれど……。

(少なくとも初期の写真は、外国人向けの土産物として売られたとされていますよね。浮世絵も、開国後は内向きに作るだけでなく土産物として生産されたものが出回ったのではないだろうか。)

前に吉田先生が指摘しておられたところによると、日本のゲーム産業は、輸出を前提とするローカライズ等のノウハウを既に蓄積しているのでしょう。だとしたらそれは、日本がもはや一方的に「見られる側」ではなくなっている、ということではないでしょうか?

日本の輸出産業は、80年代の家電等が既にそのように、一方的に見られるのではなく、買い手をこちらが観察しながら売る状態になっていたのではないかと思います。もし仮に90年代以後に、そのように外の相手をきちんと見据えて作る/売る、という態度が失われた、もしくは(一時的に?)弱体化した、という事実があるのだとしたら、それは「浮世絵化」ではなく、単なる「外部の喪失(もしくは忘却)」ということになってしまうのではないでしょうか? ジャポニズムとクール・ジャパンの比較は、いわゆる「失われた20年」をどう見るかによって、自堕落安直にもなり得るし、示唆的にもなり得るデリケートな問題のような気がします。

(今ウィキペディアを調べたら、任天堂は早くも1980年にはアメリカ法人を設立しているようです。日本のビデオゲームを取り巻く(国際)情勢は、江戸の浮世絵とは、随分、様子が違うようにも見えるのですが……。

要は、「ガラパゴス化」というバズワードを安易に大きく見積もると、大局を見誤る、ということではないかと思います。

「ガラパゴス化」の語がはてな界隈で流行りはじめたのは10年少し前で、リアルタイムにまだ我々の記憶に残っているはずですが、梅田某の煽り気味の「ウェブ進化論」というのがあって、それを踏まえつつ、かなり慎重な留保付きで出てきた言葉であったように思います。「浮世絵化」とまで言ってしまうと、そのあたりのニュアンスを乱暴に一色に塗り込めてしまうことになるのではないでしょうか?)