対話と分析

精神分析とは対面する相手との相互的な転移を通じて何らかの対策を見出そうとする臨床の技法であり、目の前にいない誰かの心を忖度したり、総括して自己完結的に納得したり、ましてやその誰かについて、こいつは〇〇だと周囲に言いふらす新種のプロバガンダではなかったはずだが。私の理解では、だが。

対面しないと、拡張された現実のモンスターは出現しない。対面すると出現する、かもしれないという仮説。

対面せずとも人の心を受信できると思い込むテレパシー、あるいは、対面した者が必ず互いの精神分析を開始するようなサイコパス状態はオカルトだろう。筒井康隆だ。

対話を臨床として遂行するのは不幸な関係だよね。ヴィトゲンシュタインが取り憑かれたのはそういう「問題」であり、そのあたりを端緒にして、20世紀に散々語られた話題じゃないかと思うけど。