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舞台様式の独白

シューベルトもチャイコフスキーも、秘密を告白するリリカルな音楽が、劇音楽の手法を借りてなされるのはどういうことなのだろう。西洋音楽において、何故に一人称は舞台のモノローグの様式になるのか。

たぶんそうではないポストロマン主義をさぐり当てるために提唱されたのが、韻文から散文へ、のスローガンだと思うのだが、音楽の散文もまた、まずは舞台の新様式として始まっているので、西洋における劇場メディアの根は深そうだ。

「白鳥の変容」は、劇場のデクラメーションから遠いけれど、劇場と無縁に見出されたと言えるのかどうか、どうなのだろう。少なくともワーグナーの音響の魔術が、こういうのを事後的に劇場に登録することで成り立つのだろうということまでは、すぐにわかるが。