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空堀・真田・陸軍墓地

ブラタモリ真田丸を探せの巻、ようやく録画でじっくりみました。あの絵図の成立年代と真贋が鍵を握りそうですね。北側と東側に現在も同じ地形が残っているということは、実際に真田丸を見ていなくても、後世の人物が残された地形から推測で書くことができるということになると思うので、鑑定はよほど慎重でないといけないですよね。

しかし、あの空堀の石垣がどこなのかは特定できませんでしたが、心眼寺をGoogleMapで検索して航空写真モードにすると、明星高校のあたりが番組と同じ姿で写っていますから、スマホ片手に番組を見るとテンションが上がります。おお、ここか、と。

しかも、あの寺の東側の崖の下は、番組では言及されませんでしたが陸軍墓地なんですよね。大阪城と近代(陸軍第四師団)の関わりが真田丸周辺にも残っているということです。

大阪の様々な土地と人が、太閤さんや真田との関わりをそれぞれの真実として語り継いでいる感じは、それぞれの人がそれぞれに大栗先生の思い出を語ってくださる大阪の感じと照らし合わせると、興味深くもあり、大阪の歴史学はなかなかに大変だろうなあとも思います。

大栗裕は後年ラジオ番組(FM大阪の大阪フィル創立30周年記念番組)で生國魂神社を「わたくしの氏神であった」と言っていますが、その生國魂神社では、昭和初年の陸渡御が近年復活して、子供獅子舞(大阪俗謡による幻想曲のピッコロのふし)が毎年、南側の谷町九包目から空堀を通って大阪城まで練り歩きます。空堀が下ってから上る「堀」なんだ、それを作ったのは真田なんだ、ということを、地域の人たちは子供の頃から知っているし、大栗裕もそうだったに違いない、ということですよねえ。彼は日響を辞めて大阪に戻って、大阪俗謡による幻想曲を作曲した頃は、どうやら空堀に住んでいたらしいですから。

(なんでも絡む大栗裕、なのです。)