学校と恋愛

トレンディドラマは学校が舞台であっても教育がテーマにはならなかったし、どうやら、学校における恋愛、というのも80年代(以前)には描かれなかった気配がある。中学生が愛し合うのは、清く正しく美しい青い山脈はもちろん、金八先生でも学校を揺るがす大問題という扱いだった。

というような昭和の恋愛史に踏み込むと小谷野敦になってしまうが、そうではなく、学校ではこっそり愛し合うものである、というような通念は、昭和のクラブ活動としての音楽の題材やモラルにも影響を及ぼしていたのではないかと思ったのです。服部正や大栗裕が昭和30年代に大学生のクラブ活動の音楽物語で童話・民話を取り上げて、それが当時は通用していた(子供っぽいとは思われなかった)のは、学校が大人の恋愛から隔離された場所とされていたからではないか。そして80年代から90年代の転換期の若者向けのドラマが恋愛の場所を学校とのつながりを保ちながらそこから一歩踏み出した場所(学校と空港の間)に設定したり、大学生のクリスマスがサカリの付いたケダモノのような騒ぎになったのは、女性の位置/地位が少し変わって、ようやく少し事態が動いたということだったのかもしれない。

(戦前の旧制高校生のドイツリートはいいけれど、音楽学校の卒業生がオペラに出るのは淫乱だ、とか、音楽学校でシューベルトはよくてショパンはダメだった、というモラルも、何か怪しい。カルスタ・ポスコロ的なイデオロギー批判だけでは処理しきれない案件なのではなかろうか。)

その後あっという間に、あらゆる欲望を「動物化」していいことになってしまって、物事の成り行きはあまり文明的ではない感じがするけれど。