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ポスト朝比奈世代

「大阪にラテン音楽を!」の井上道義が大阪フィルにいてくれると2018年の大栗裕生誕100年に好都合じゃないかと漠然と(&勝手に)思っていたので、やや梯子を外された感はありますが、井上道義がワンポイント・リリーフなのは、常任指揮者等の肩書きを固辞して首席指揮者の称号を彼が選んだときから明らかではあったので、遅かれ早かれ、ということなのでしょう。

関西フィルが飯守泰次郎、大阪響が外山雄三、大阪フィルが尾高忠明ということで、大阪にポスト朝比奈世代がずらりと顔を揃えることになる。外山と尾高は、若杉弘(故人)、秋山和慶(東京や広島のポストを次々後進に譲っている)とともに、朝比奈隆から大植英次に代替わりする間の空白の1年、2002年の大阪フィルを支えた指揮者だから、時計の針が15年分逆回転した感は否めない。もしかすると、オーケストラに定期会員として実際にお金を払う人たちが高齢化して、こういう名前を出さないとついてきてくれない、という経営判断なのかもしれない。

秘かに、道義の次は外国人指揮者と契約するんじゃないかと予想していたのだが、こういう形に決まったのであれば、各々が敬老精神を発揮して、お爺さん方の最後を看取る役回りを大阪が引き受けることになるのでしょう。高齢者に優しい街大阪、である。現役世代はショッピングに便利な西宮北口の芸文、あるいは、スタバやツタヤで優雅に過ごせる京都のロームシアターに行け、と。

(フェスティバルタワーは、近年若者がカジュアルに入れる店が増えている北新地に隣接して、恰好の現役レジャースポットだと思うんだけどなあ……。中之島はいいポケモンも出るのに(笑)。)

追記:

尾高の父、尾高尚忠は日本人指揮者が最も多く登場した戦後の数年間のN響を支えた人で外山、岩城は当時まだ学生で、大栗裕もホルン奏者として数年間N響にいた。大栗裕が指揮者としての朝比奈隆に出会ったのもこの時期のN響においてだったようです。この機会に尾高尚忠を顕彰する、というのは、アリかもしれない。誰かが尾高家の物語を書いてもいいんじゃないか。これからしばらく大阪のオーケストラを担うことになるのであろう後期高齢者「団塊さん」の原風景の発掘である。

追記2:

とはいえ、さしあたり2017年度のプログラムは今年の延長に見える。バーンスタインのミサを井上道義が上演するなど、創立70周年は、短かった井上道義時代の総仕上げになりそうですね。音楽監督が尾高忠明に代わっても、新しいフェスティバルホールという器にどういう可能性があって、私たちが何をやらねばならないか、井上道義が示したヴィジョンが忘れられることはないだろう。掘り割りや石垣が全部埋められた徳川の世になっても、大坂城は太閤はんのお城や、という記憶が残るようなものである。

(しかし、若杉弘没後の新国に乗り込んだり、今度は大阪にやって来たり、尾高という人は、いったいどういう勢力を背景に動いているのか不気味である。)