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タッチパネルと単純作業

ポケモンGOをdisったり、ハマった人が自嘲するときには「膨大な単純作業」というワードが使われるようだ。文字の読み書きもまた、スマホでは「膨大な単純作業」に還元されるので、スマホをいつどこでどのように使うか、という話に帰着する気がします。スマホは、音声の出入力を利用しないとなると、インターフェースがタッチパネルしかないのだから、何をやるにしても「膨大な単純作業」になる。そういう器械ですよね。

SNSに熱心な人もまた、タッチパネルを用いた文字の読み書きという「膨大な単純作業」をよくあれだけ続けるよね、という風に言われてしかるべきだろう、ということかと思います。

(140文字をポチポチ打つならともかく、スマホで長文となると、それはポッポマラソンかもしれない。)

ところで、「膨大」の「膨」の字を何も見ずに手書きできる人は、どれくらいいるのだろう?

そういえば、私がガラケーからスマホに変えたのは今年になってからだが、1999年以来、紙の手帳は使っていないので日常的な文字の出入力はずっとタッチパネルだけれど(スケジュール管理は長らくPalm、数年前からiCal/iPod、今年になってiPhone)、タッチパネルを備えた携帯ゲーム機が出たのもその頃でしたっけ?

ゼロ年代はタッチパネルの時代なんですね。

一方で、大学の授業はパワポを一切使わずにプリントと板書を続けているので、文字を手書きする機会は多いですが……。そして音楽大学の黒板は五線が引いてあるので、今も音符を頻繁に手書きしますが……。

(そしてさらに言えば、演奏会のご招待の出欠はFAXの送受信。音楽家の皆さんの集客の基本は手書きの礼状。コンサートホールに入ると、スマホの電源は切ってしまうので、メモは手書き。クラシック音楽の現場は、文字の読み書きに関して今も手書きが基本ですね。)

人文の凋落は、文字の読み書き環境の変化に戦略的に対応することに失敗した結果、という面があるんじゃないだろうか。