娯楽と芸術の分離、サウンドマシンと実験装置の分離

オーケストラは20世紀に一方で巨大な音響体になり(悪しきロマン主義と誤解されている大ホールの倍管大音響の古典演奏も実はほぼ20世紀的なモダニズム現象だ)、他方で20世紀に小編成の合奏(室内オーケストラ)の試みが様々になされた。どちらが主か、ということではなく、オーケストラがサウンドマシンと実験装置に分離したのだと思う。たぶんこれは、おおむねアートとエンタメの分離に対応している。巨大な音響体はスペクタクルでありうる一方、小編成の合奏はアンダーグラウンドに潜る。

ロック・ミュージシャンが「交響曲」をそう望めば書けてしまえるのは、この文脈においてなのではないか。西欧クラシック音楽のシンボル、旗印を奪取した、本丸天守閣に入った、というような表象の水準での達成感はエンターテインメントとして一定の意味をもつけれど、おそらく、20世紀のアートのコアはそこにはない。

(あと、ロック・ミュージシャンのシンフォニーと、マイルス・デーヴィスあたりもやっていたシンフォニック・ジャズ、ジャズ・ミュージシャンによるオーケストラとの共演がどうつながって、何がちがうのか、ということも気になる。)