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翻訳字幕は職人的経験値がものを言う

前にびわ湖ホールと新国立劇場が相次いでコルンゴルトの死の都を上演したときに、字幕の善し悪しではびわ湖ホールの圧勝だな、と思ったことがあるので、東京の音楽祭の字幕がいまいちではないか、という疑念が出ることは十分ありうるし、予測可能な問題が顕在化したのかな、という気がする。(残念ながら公演を実際にはみていないので、「気がする」だけで、断定することはできないが。)

山崎太郎さん(びわ湖のコルンゴルトは彼の翻訳ではなかったけれど)のリングのDVDの字幕は画期的に明快で素晴らしいと思う、と前に書いたことがあったと記憶する。

翻訳者や文学者が言葉のプロとして長年の経験で蓄積している翻訳技術に音楽学者(広瀬さんは評論家というより学者ですよね、彼の言動に評論家として勝負している形跡はほとんどないし)が謙虚に学ぶ。そういうことが求められる場面というのは、一般論としてありうるだろうなあと思う。

(森鴎外の中途半端にペダンティックなグルック「オルフェオとエウリディーチェ」の訳詞を東京芸大の楽理がありがたがったり、日本の音楽学者の言語感覚は、ときどき狭いマニアックな場所で暴走することがある。最近の例では、堀朋平もちょっと危うい。)

今回の東条氏の疑念がこれに該当するかどうか、断定はできないし、これは一般論に過ぎないが。