AIと中庸と脳筋

たぶん、「中庸」「ほどほど」は、それが成果を上げているとしたらAIに学習可能だと思う。

GoogleのAIの碁は全然「原理主義的」ではないし、AIの着手が「原理主義的」だったら、プロ棋士たちがAIを「先生」と呼んで学ぼうとはしないと思うんだけどなあ。(誰に言うともなく。)

ところで、最近「脳筋」という言葉を覚えた。「脳味噌が筋肉」、体育会系を揶揄するゲーマー用語であるらしく、私には、その類義語とされる「レベルを上げて物理で殴ればいい」がさらに興味深く思われた。

「脳筋」は自嘲的に蔑まれている気配がある一方、「レベルを上げて物理で殴る」はクソゲーの真理として淡々と遂行されるようだ。

人間たるもの、「レベルを上げて物理で殴」られないようにしたいものである。