近代昭和の南禅寺外交

ブラタモリで、南禅寺界隈には今も財界人所有で非公開の邸宅が並んでいるのが紹介されていたが、そういえば、茂山家の人々が出てくる谷崎潤一郎「月と狂言師」も南禅寺が舞台ではなかったか。(南禅寺周辺ではなく寺の境内での月見だけれど。)

大正末から昭和前期にストロークらの手引きで日本に著名な洋楽演奏家が来るようになって、当時の音楽雑誌をみると、大阪の朝日会館や大阪国際フェスティバルに来た折りに、支援者らが京都で彼らを接待した話が出てくる。財界関係者が東山の別邸に彼らを招くケースがあったのではなかろうか、と思う。

恩師谷村晃は、国際音楽学会のシンポジウムの大阪開催を見据えて前年1989年に当時の国際学会会長のマーリンクを大阪大学に招いてゼミナールをやったのだが、谷村先生の知人の陶芸家の工房が南禅寺のそばにあり、休みの日にマーリンク夫妻をそこに案内することになった。当時博士課程の伊東信宏が南座の歌舞伎(真景累ヶ淵ではなかったか)をマーリンク夫妻と一緒にみて、そのあと私が合流して、伊東さんの車で南禅寺まで移動した。

工房では、陶芸家の方がせっかくだからとマーリンクにご自身の作品をお贈りして、マーリンクが、ラインラントも陶器の産地なので、あとでドイツの焼き物を送ると約束する、というようなやりとりがあった。

南禅寺界隈はこういう社交に恰好の土地だったのか、と、今ようやく納得できた。