「音楽家が自身を過大評価している」

たぶんこの文言を使いたかったから硬い文体を採用したのだろう。

彼はなぜ、このタイミングでこの文言を「決めぜりふ」として投入したのか、どういう光景をどういうアングルで眺めてこの文言を思いついたのか。色々なことが丸見えであるがゆえに「誤爆」感がただよい、脱力する。

仕方がないので、「小者にかまうな」と檄を飛ばす源次郎、そして突撃も虚しく野原に放置され、泣き崩れる三十郎(←ここで初登場以来のいっちょかみの伏線が回収される)という場面を思い浮かべることにする。

「中間層の音楽」、ブルーカラーではなく、ほどほどに社畜でほどほどに個人主義マイホーム主義で、管理職ではあっても経営陣・トップエリートというわけではなく、生まれや育ちに特記事項はないけれど、面接を受ければそれなりの好感度を与えるチャームポイントがないわけではない「中途半端な私たちの生活と意見」を投影できる音楽が20世紀以来の社会ではますます必要とされているのだろうというのはわかるし、白人ロックはその最有力株だったのだろうと思う。

でも、「中途半端な私たちの生活と意見」の表明が「物申す」モードである必然性はないと思うんだよね。

音を製造すると煩いと言われて責任を問われますが?

そして不用意な音を製造した者へのクレームの頻度は、他の分野の製造者へのクレームの頻度とさほど変わらないと思うのですが、違いますか?

作者作曲家にまで遡って文句が届くとは限らないのは、創作と実演の分業の話であり、自作自演であれば作者自身が音楽の製造者としてダイレクトに責任を問われる。ますますもって「音楽それ自体」の話から遠ざかり、論の運びが迷走している。

独我論に酔う

それは、「音楽それ自体とはパーソナルなものである」ではなく、「パーソナルなこの感じをオレは音楽それ自体と呼ぶ」というオレ定義を言葉の上で倒立させて何かを言ったような気になっているに過ぎない。そして他人は酔っ払いの相手を続けるほど暇ではない。「音楽それ自体」なる観念は別様に定義されて既に世間に流通しているので、「パーソナルなこの感じ」には他の言葉を割り当てていただきたい。

「オレのこの感じ」を言い募ればオーディエンスがグルーヴする、と想定するのはロックとしても古いのではないか。(と、くるりを聞いて私は思ったのだけれど、違うのか?)

野戦

晴天の野原で大御所様との対決するのは、なんとなく黒澤映画みたいだなあと思ったのだが、あの最終回の合戦シーンはCGが入っていない、三谷幸喜がCGを入れないで撮れる合戦シーンを設定した、昭和の映像へのオマージュが入っていた、という理解で大丈夫なのだろうか。(「戦で雌雄を決する時代が終わった」と宣言して平和な農村で締めるのは、まあいわば「七人の侍」か。真田丸に旗を立てるとテーマ音楽が鳴る、というのもそうだが。)

それとも、やっぱりああいう場面はCGで人を増やすのが当たり前で、今度もそういう風に処理されていたのだろうか。戦国映像作品が人海戦術で雌雄を決する時代はとうの昔に終わっている、ということで。

転倒防止

飛翔を経た着地がヘーゲルの精神現象学にも似たロマン主義の様式特徴であり、傷と治癒が宮台神学の骨法だ、というのはいいが、着地するためには飛ばねばならぬ、癒えるためには傷つかねばならぬ、と転倒した論法で通過儀礼を正当化するのは、悪しき教養主義である。

転んで頭を打って、それが原因で脳に障害が残る。

成人病の治療と予防が高度に発達した結果、癌が直接の死因となるケースが少しずつ減っているように思われる最近の老人医療では、外科的治療が困難な脳をめぐる広義の緩慢な事故というべき症例が問題になりつつあるみたいですよ。

真田丸の秀吉も花見の宴で桜の木から落ちた。出会いの場面を反復する感動的な小日向と堺の芝居はその回の最後だ。源次郎はその20年越しの後始末で命を落としたと言えなくもないわけで。

青春のロマン主義には、不死身の人間はいない、というカウンターが当たる。それが人生なのかもしれない。

「世界の国からこんにちは」

日本で非英語圏から来た者どうしが英語で意思疎通する状態を、あたかもこの島がまだ経験したことのない未來の光景であるかのように思いなすのは、1964年の東京オリンピックや1970年の日本万国博覧会を知らない1970年代以後生まれの底の浅い歴史観、いわば、「万博を知らない子どもたち」の未成熟な実感のなれの果てなのだろう。リンガ・フランカで話す者が存在する状態は、さして驚くほどのことではないし、この島を揺るがす未曾有の事態ではないと思う。

ただし、1970年の事業が「日本万国博覧会」を名乗って開催され、それにもかかわらず「大阪万博」と通称されて、そのあとに筑波や愛知が続く国内地方都市の地域活性化行事の出発点であるかのように意味づけられていったのは、「国際社会」の担い手・ホストは国家ではなく都市である、という理念をわからなくする「ニッポン」の詐欺的な半世紀と言うべきかもしれない。もう一回東京オリンピックからやり直して、それと平行する形で、大学という国家とは違う組織を「国際化」の拠点として再編すべし、というのは、それなりに面白い構想・提言ではあるかもしれない。

リヒャルト・シュトラウスの孤立

ラヴェルの音楽は、パリでどういう音が鳴っていたか、スペイン趣味や万博や古楽復活やロシアの台頭などだけでなく、どういう経緯でウィンナー・ワルツが彼の耳に届いたか、というようなことを先に言わないと面白く語れない。

もう一方のオーケストラの達人リヒャルト・シュトラウスの孤立もまた、民俗音楽の宝庫中欧の聴覚文化がどういう風にモダニズムに変換されていったのか、「20世紀の橋」を渡った人たちの興亡を見据えてはじめて意味がわかるものなのかもしれない(=管弦楽史)。