工業製品としての「音楽の散文」の現在

あらゆる音の断片がハリウッド映画音楽の様式でDTMされるところまで来ているのですね。

フィレンツェのカメラータのモノディがナポリでリブレットとコンティニュオ(和声づけ)の手工業的な分業で量産されるようになって、グルックが鍵盤楽器の代わりにオーケストラの伴奏(アコンパニャート)を使って話題になると、マイヤベーアがこれをパリ・オペラ座のブルジョワ向け高級娯楽劇音楽として生産する体制を整える。マイヤベーアの助手あがりのワーグナーがそうした「散文的」なオーケストラ・サウンドにライトモチーフを流し込むことに成功して、この技法が亡命ユダヤ人によってハリウッドの映画音楽に持ち込まれ、ほぼあらゆる音の断片をライトモチーフ扱いでオーケストラ化する音楽工場が完成する。で、DTMが工業製品を個人の趣味で製作する可能性を開いて、いまここ、なわけだから、400年がかりの何段階ものイノベーションの堆積ですね。

(ところで、岸田繁の交響曲第1番がそうだったけれど、DTMで製作したオーケストラ・サウンドをオーケストレーターが人力オーケストラに書き直したもの(書き戻したもの?)をライヴで演奏しても、いまいち面白くないことがある。リスナー目線で「ここにこういう音が欲しい」という発想で音を並べたDTMサウンドは、そのままでは人間(オーケストラのプレイヤーたち)が弾いて面白いパート譜にならない、ということだと思う。舞台劇の群衆シーンの演出と、映画でいかにも群衆がうごめいているように思わせる演出とは別物だ、というのに似ているかもしれない。ワーグナーですら、管楽器の2番奏者の譜面は機械的で吹いても面白くないことがあるようで、佐村河内/新垣や岸田がお手本にしたブルックナー(オルガン奏者でオーケストラをあとづけで勉強した)のシンフォニーは、ワーグナーに比べると、さらにパート譜がつまらないらしい。映画音楽は、通常、録音・編集されたサウンドトラックとして納品されるので、シンフォニーより、かなり敷居が低そうですね。)

変数と観察

「空の範疇」とは、要は数学の解析で言う変数 variable の設定のことではないか。中性子の予想は、まさにそういうことですよね。データの解析において設定された変数(あるいは代数方程式で言う未知数)を裏書きする現象があとから発見された、と。(電子や中性子は五感でキャッチできないので、科学哲学上の議論を巻き起こしてはいるけれど。)

そういう手続きに empty の語が導入される文脈は、ちょっとよくわからない。ヒトが解析アナリシスにおいて新たな変数を導入したり補助線を引いたりすることができるのは、空の範疇が知性にアプリオリに装填されているからだ。ギブソンが言うアフォーダンスもこれを指し示す。と言うようなニューサイエンスの基礎論なのでしょうか。

逆に、どう解析するか、ということを後回しにして、人はどんどん観察してデータを蓄積することがある。

失われた20年は、複数の島宇宙にデータが渦巻いていたから動き過ぎないクールな理論が要請されたが、巧みに動いてデータを獲得する技、何かを動いて取りに行く態度か不要になったわけではなかろう。

空の範疇とデータの過剰の両方が揃わないと、知・科学は回らないんじゃないかな。

(前に少し書いたリバーダンスの話を舞曲史の授業の導入に使おうと準備しながら、ふと、そういうことを考えた。理論と観察・フィールドワークの関係のイロハを話そうと思うのです。手付かずのフィールドというユートピアを期待できない21世紀の状況を前提にして。)

21世紀の詩と散文

SNSにあまりにも特化して言葉をつむいでいると、140文字の散文詩、限定された文字数と言葉の特定の流通形態においてのみ意味や効果をもつ言葉の連なりを生成する技術が発達して、無意味もしくは非意味に逢着して消耗することが知られている。

140文字の散文詩を複数組み合わせて編集する、というやり方で自由散文の世界へ出る方法が模索されており、人間がそのような編集を行うツールとしては、古くはカードを使った発想法が流行り、最近はアウトライン・プロセッサーが結構普及しているようだし、AIによる自然言語の運用には、そのような編集を高速化してビッグデータの解析を行っている面があるようだ。

SNSが指し示す一種の「詩」(自律言語という20世紀的・「言語論的転回」以後的な意味における)の無意味・非意味のブラックホールは、そのようなやり方で上首尾にふさがるのだろうか。そしてそのとき、「近代」が発見したタイプの「詩」(とりわけ固有の韻律を確立できなかった日本の口語文によるそれ)はどうなっていくのだろう。

(これは、要するに、twitterで面白く書こうとすると誰もが増田聡になってしまう、という症状、そして twitter が一発芸的な宣伝・プロパガンダ(もっともらしくポスト・トゥルースと呼ばれることもあるような)で埋め尽くされてしまう現状に、私たちはこれからどうやってつきあっていけばいいか、ということなわけだが。)

「マイノリティはメジャーにあやかる」と断定する者:芸術学の位置を詩学のアリストテレスに遡って自嘲することから何が発見できるか?

音楽は「理論的にマイナー」な芸術なので、哲学者や思想家がちょろっと(当人にとっては非本質的な仕方で)音楽に言及した箇所を、音楽家や音楽研究者が喜んで拾い出し、過剰な解釈や意味付与を行う、という傾向がありますね。文学や美術の研究者はあまりやらない(その必要がない)ことだと思います。

「音楽」だけじゃなく、芸術全般がルネサンスまでは「理論的にマイナー」だったんじゃないのかな。

アリストテレスが詩学という書物でちょろっと(当人にとっては非本質的な仕方で=アリストテレスの他の書物とは写本の伝承からして別系統である詩学という書物で)演劇に言及した箇所を、美学者や芸術研究者が喜んで拾い出し、過剰な解釈や意味付与を行う、という傾向がありますね。倫理学者や自然哲学者はあまりやらない(その必要がない)ことだと思います。

(whataboutism 風の混ぜ返しになってしまって恐縮ですが。)

芸術において音楽がマイナーに見える、というだけであれば「西欧(もしくは人類?)の視覚中心主義」という診断を下すことができるかもしれないけれど、より広い文脈で芸術全般がマイナーだ、ということになると、「視覚中心主義」という診断の妥当性が揺らぐ、少なくとも、芸術における音楽の地位をその証左として提出する前に吟味すべきことが出てくるのではないかしら。

マイノリティであるとはどういうことか、ある現象がマイノリティであるという診断は相対的でしかあり得ないわけだが、そのような相対性から一般的な法則を取り出す思考操作は、知的・科学的であると言えるのか。それが科学的推論だと言いうるとしたら、その推論はどのような方法と理念によっているのか。ポピュリズムがそうであるような数の争い、ある事柄の支持者が多いか少ないか、という統計を推論の妥当性の判断材料にする、というのは、あまり従来の知・科学ではなかったことのような気がする。AIの活用を見据えた21世紀の科学なのだろうか?

歴史学や社会科学は個人ではなく集団を扱うから、ある推論や現象の支持者・信奉者が多いか少ないか、という統計を活用するのはごく普通の操作だと思うけれど、哲学(者)にとって、「私の思考の支持者ははたして多いのか少ないのか」という評判の自覚は何を意味するのでしょうか。哲学(者)が遅ればせながらにお年頃の思春期を迎えて、モテ/非モテを気にするようになったということなのか、そして、思春期的なモテ/非モテの自意識こそが哲学における脱近代・ポストモダンだ、ということになるのでしょうか。

哲学は、今さらそこに拘泥しなくても、もとからそういうことがひととおり読み込まれていて、成人の処世術の上に築かれていたのではないのかと思わないではない。つまり、芸術や文学のなかに、ある年齢に達して一定の経験を経ないと理解できないものがあるように、思考・哲学にも、それを理解できるようになる年齢みたいなものがあるんじゃないか。マイノリティの自意識が、そのような成人の思考に持ちこたえるか、となると、少々怪しい気がしないでもない。

うっかりすると、「マイノリティはメジャーにすがって生きていくしかない、世の中とはそういうものだ」と言っているだけになってしまいそうなのだが。

(「勉強の哲学」を読むと、ユーモアとキモ系をキーワードにして、マイナー研究の倫理についても、ヒントが得られるのだろうか。)

名前を売りたい人々

十数年前の大河ドラマ「新撰組!」に岩倉具視が伊東甲子太郎の名前を覚えようとせずに侮辱する場面があったが、今思えば、あれは京のお公家さんの陰険さの表現というより、三谷幸喜がどこかで経験したのかもしれない現代の芸能界の風景だったのでしょう。

宣伝・広報とはタレントの「名前を売る」ことである、という面がおそらくある(あった)。売名行為の語があるように、悪評であろうと名前が広まればこっちのものだ、という考え方が、今では「昭和的」と懐古的に語られてしまうかもしれない芸能界・マスコミ・ワイドショウの日常だったような記憶がかすかにある。

テレヴィジョンという最先端のメディア・技術、マス・コミュニケーションという時代の花形である舞台で、実に野蛮なことが繰り返されていた時代があったわけである。

そして次第に薄れつつある記憶をたどると、そのような野蛮な場所を物語風に描写するバックステージものでは、タレント/スターの「名前」を売るのと裏腹に、決してその名前が表に出ることのない無名のスタッフたちがうごめくことになっていたような気がする。「お前の代わりなんていくらでもいるんだ、身の程をわきまえろ」とか言われちゃうメロドラマである。

現在は、メディア状況も、文化芸能が花開く舞台も、そんな野蛮な時代とはずいぶん変わりつつあるわけだが、今でも相変わらず、「名前を売る」が宣伝・広報の本命であり、そのために身を挺する「名もなき者」がその背後には膨大にいて、日々メロドラマが繰り広げられていると信じ続けている化石のような人たちが、おそらくいるんだろうと思う。

高齢化社会なので、そのようなノルタルジー市場もある程度延命してはいるのだろう。

「私は決してお前の名前を口にしない」

というのは、もしかするとそのような後期高齢者のノスタルジックな世界では、ようやく手に入れた権力の行使なのかもしれないが、でも、実際のところは、そのように古くさい作法で売買するまでもなく確かにそこに存在している「名前」を前にして、どう対応したらいいのかわからない臆病者が、その名前を口にする勇気もなく怯んでいるに過ぎなかったりするのかもしれない。

憐れなことである。

当節のクラシック音楽の宣伝・広報では比較的よくある話な気がします。

(でも、それはそれとして、広瀬大介さんは「音楽評論家」なのでしょうか? オペラ学者の翻訳上のこだわりが成功していたかどうか、というだけの話だろうに、どうしてストレートに物が言えなくなる仕掛けをあっちこっちに作るのだろう。)

P. S.

昨年末に、演奏会の帰りの京都の地下鉄で、旧知の業界の女性たちと一緒の「彼」と同じ車両に乗り合わせたことがあった。悪戯心を起こして、私がそのなかの一人に耳打ちして質問させたら、「彼」は昔話をはじめて、「へえ、すごい」と感心されて、めでたく会話の中心に収まった。「東条さんはグルッペン(の日本での上演)を3回とも聴かれたんですか?」という佐藤千晴の問いかけは、わたしの入れ知恵なんですわ(笑)。たぶん「彼」は、こういう接待で日々を過ごしているのでしょう。

日本における Nationalities と Nationalism

「有事」という言葉が、特定の思想信条の人たちのジャーゴンではなくなって、実際に「箏が有る」状態になってしまうと、この島に住む者にとって、Nationality の定義はどうしても一部変更を迫られるわけですよね。「団」や「連」を組んでいる方々にとって、その成り立ちや定義に関わる Nation のありようが変わってしまうことになるかもしれないわけだから。

Nationalism をめぐる過去十数年のこの島での議論の盛り上がりは、そういうことを準備する上で意味があったことになるのでしょうか。

そして例えば、尹伊桑や白南準について、この島では、今後、誰がどのようなスタンスで語り、取り扱うことになるのでしょうか。

伊東信宏さんが旺盛に論じていらっしゃるようなバルカン半島、中央ヨーロッパの音楽文化の複雑な襞は、中央ヨーロッパで Bundesrepublik と Demokratische Republik を隔てる壁が取り払われたが故にせり上がり、顕在化したところがあるわけですよね。

東アジアでは、それから四半世紀以上経っても複数の人民共和国が存続していて、ひょっとすると中央ヨーロッパにおけるリゲティやクルタークと比較して考察する意義があるかもしれない音楽家や芸術家の動きを語ることは今も難しい。

この状況もまた、しかし動く、ということになるのでしょうか。

翻訳字幕は職人的経験値がものを言う

前にびわ湖ホールと新国立劇場が相次いでコルンゴルトの死の都を上演したときに、字幕の善し悪しではびわ湖ホールの圧勝だな、と思ったことがあるので、東京の音楽祭の字幕がいまいちではないか、という疑念が出ることは十分ありうるし、予測可能な問題が顕在化したのかな、という気がする。(残念ながら公演を実際にはみていないので、「気がする」だけで、断定することはできないが。)

山崎太郎さん(びわ湖のコルンゴルトは彼の翻訳ではなかったけれど)のリングのDVDの字幕は画期的に明快で素晴らしいと思う、と前に書いたことがあったと記憶する。

翻訳者や文学者が言葉のプロとして長年の経験で蓄積している翻訳技術に音楽学者(広瀬さんは評論家というより学者ですよね、彼の言動に評論家として勝負している形跡はほとんどないし)が謙虚に学ぶ。そういうことが求められる場面というのは、一般論としてありうるだろうなあと思う。

(森鴎外の中途半端にペダンティックなグルック「オルフェオとエウリディーチェ」の訳詞を東京芸大の楽理がありがたがったり、日本の音楽学者の言語感覚は、ときどき狭いマニアックな場所で暴走することがある。最近の例では、堀朋平もちょっと危うい。)

今回の東条氏の疑念がこれに該当するかどうか、断定はできないし、これは一般論に過ぎないが。

HIPな演奏、ちぐはぐな運営

今年は桜が満開の週末が雨になってしまいましたね。

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こういう結果になると、センチュリー響のハイドンが一番誠実な取り組みだった、と判定せざるを得ないかもしれない。

巨大な空間に大観衆を集めるプロムスで古楽系団体が拍手喝采を浴びる(YouTubeでそういう映像がいくつか見つかる)のに似た上手なプレゼンテーションでしたね。音友あたりのグラビアで華やかに報じて欲しいものだ。(ちゃんとカメラマンを派遣していたのだろうか?)

18世紀古典派音楽の in tempo をメトロノーム的な等速運動と解釈して、すべてを等速運動的なパルスにあてはめようとすると、ハイドンの交響曲は、おそらく18世紀には全く想定されていなかったであろう種類の超絶的に難しい音楽になる。こういう演奏スタイルは、20世紀前半の新即物主義のテンポ理解の延長上に「古楽」や「ピリオド演奏」を組み立ててしまった一昔前の Historical Informed Performance の悪弊だと思う。

ハイドン「太鼓連打」は、YouTube にコープマンがフランスの放送オケを指揮した目の覚めるように生き生きした演奏があるので、比較すれば、今回のセンチュリーのスタイルの問題点がわかる。等速運動的な in tempo では表現できないハーモニーの面白さやハイドン一流の「驚き」「不意打ち」「意外性」の多彩な効果がこの作品には膨大に盛り込まれているのに、センチュリーは、そういうものをすべてばっさり切り落としてしまっている。

(たぶんこの等速運動風 in tempo では、ハイドンの機略の効果は出ない。外山雄三のテンポが緩み気味になってしまうのは加齢で仕方のないところがあるのだろうし、そこを割り引いて聴けば、同じように in tempo を基本とする演奏でも「音楽」として濃密な表現が聞こえて来る大阪交響楽団のくるみ割り人形との違いはあまりにも大きい。)

でも、無知や認識不足(そしてひょっとするとマジメすぎる想像力の少々の不足)ゆえに切り落としてしまっているものがたくさんあるにしても、ひとつの方針・コンセプトを、よくぞこれだけの精度に仕上げたものだ、と感心する。

一人の指揮者の下で、安定した運営方針を数年にわたって維持したことで、オーケストラの各部門が状況に最適化されて、効率的に動いているのだと思う。

整然と法人化・ビジネス化が進む今の日本のクラシック業界のものの見方からすると、オーケストラが4つ集まってコンサートをやるのは話題性を狙った無茶なお祭りイベントということになるのかもしれないけれど、客席は、それぞれのオーケストラの定期会員になっていらっしゃったりして、普段からコンサートに慣れたお客様が多いように思われる。ごひいきの団体を応援したり、それぞれがお互いを意識して真剣に個性を競っているのを、普段以上に聞き応えのある演奏会として楽しみに期待して来てくださっているのではないかと思う。

(そういえば、朝日新聞社の文化事業の原点とも言えそうな戦前の朝日会館ではモダニズムの精神で伝統芸能を刷新するべく流派の垣根を越えた四流合同のホール能が催されて、これが戦後の大阪国際フェスティバルの能楽公演につながったと聞いている。だから、新しいフェスティバルホールで四大オーケストラをやるのは、朝日新聞にふさわしいと言えるかもしれないし、逆に言うと、日本の洋楽クラシック業界は、かつては邦楽に対してより新しく近代的だと言えたかもしれないけれど、今ではかつての邦楽界に似た縦割りの家元制度になりかかっているところがあって、だからこういう団体横断の試みが求められているのかもしれない。)

実際、各オーケストラの首席クラスがローマの松のバンダを吹く、というのは、他ではまず望めない贅沢な布陣ですよね。

これは、在庫一掃大安売りセールではなく、現状の一番いいところを切り出したスペシャルな高額商品として売り買いされていい物件だと思うのです。(チケットは、前売りがS席8,500円、A席7,000円と通常のそれぞれのオケの定期の一回券より高く設定されているし。)

だから、学生アルバイト風のレセプショニストが、まるでバーゲンセールに詰めかける買い物客をさばくかのように、列を作れ、こっちへ進め、と連呼するのはフェスティバルホールではいつものことなので、失礼なあしらいだなあと思いつつ、もう諦めているけれど、終演後のプレゼント抽選会、というのは、さすがに、ちょっと違うんじゃないかと思った。

(今回は出演していらっしゃらなかったけれど、飯守泰次郎が出ていたら、国の文化功労者を終演後の舞台に立たせて、同じように抽選会をやらせるつもりだったのだろうか……。)

朝日放送が収録していたが、ドン・ファンとローマの松、という後半のプログラムは、シンフォニーホールができてしばらくしてカラヤンとベルリン・フィルが来演したときと同じ曲目ですね。あのときは、朝日放送が撮影した番組の出来映えにカラヤンが大いに満足したと伝えられるが、今回はどういう映像を作ってくれるのか、楽しみです。

団伊玖磨が作曲した大阪国際フェスティバルのファンファーレ(かつては毎年、開幕コンサートの最初に吹奏されていた)をプレコンサートのアトラクションの形で演奏したり、大阪の演奏家・演奏団体のほうは、主催者以上に真剣に、大阪のクラシック音楽の歴史・伝統というと大げさだが、自分たちが活動している場の成り立ちや来歴をちゃんと受け継ごうとしているように見える。

そういう心意気が、ビジネスパーソンな方々には伝わらないものなんですかね。

コンサートの前や後に「オマケ」を付け足す発想ではなく、こういうのは音楽祭本体に組み込むべきだと思う。

現在のビジネスパーソンが「常識」「お約束」「定型」だと浅い知識で思い込んでいることからはみ出るものを、「規格外」「例外」として外にはじき出してしまうのは、合理化や効率化ではない。そういうことが起きるのは、「常識」「お約束」「定型」の問題点を知らせるシグナルなのだから、これを取り込んで、「常識」「お約束」「定型」のほうをアップデートする。ビジネスでいうPDCA (Plan - Do - Check - Action) は、そういう健全なサイクルで動的にビジネスを展開せよ、という教えだったのではないでしょうか。まるで不労所得の上にあぐらをかくかのようにルーティンを回すのは、ダメなビジネスですよね。

(大阪フィルが「ドン・ファン」を演奏するのを、私は初めて聴いた。昨年の「ダフニスとクロエ」や一昨年のベートーヴェンは楽団のレパートリーになっているけれど、この曲はたぶんそうではないですよね。それをいきなり若い指揮者に託すのは、(これと見込んだ新人を無茶振り気味に大きな舞台に立たせて度量を試すのが朝比奈時代からのこのオーケストラの一種の伝統ではあるのかもしれないけれど)荷が重すぎたのではないでしょうか。他の楽団がベストメンバーで手持ちの最高のカードを切っているときに、大阪フィルだけが、二軍の若手でお茶を濁しているように見えてしまった。今回のフルートのトップは客演で元京響の清水さんだったし……。新しい姿に脱皮しようと模索中、が今の私たちなのです、ということなのかもしれないけれど。)

「○年やったら諦めろ」の件

当初想定していた長期戦のための兵糧が尽きて、続けるための支えがないのに意地で続けるくらいなら、作戦を考え直した方がいい、ということじゃないのかな。5年でも10年でも30年でも、トライし続ける体力・生活基盤があるんだったら続けたらいいし、なければ、止めるしかないよね。

「おれは○○年諦めなかったから今日がある。お前も頑張れ」

は、どうしてそんなに長い間トライし続けることができたのか、まずは、その間の経済・生活基盤を教えて欲しい。そうじゃないと、ブラックで無責任なアドバイスだ。

たとえば、私は10年近く大栗裕、関西の洋楽と言っているが、これで生活しているわけじゃない。でも、万人にとって無償無害なホビーでしかないことなのだったら、大栗裕や関西の洋楽についてしつこく調べたりはしないと思う。

調査・研究は、課題・問題を設定して、それを解決する営みなのだから、問題が解消したら、何年目とかとは関係なく、その調査・研究は終わるよね。そしてあまりにも解決までに時間がかかるのは、それが難題である場合もあるが、残念ながら調査・研究の当事者にその課題を解くための技術・能力が不足しているがゆえの遅延であるケースもあるだろうし、解決不能の疑似問題に挑んでしまっている場合も少なくないように思う。「知的な高揚」(内田樹)は、調査・研究を駆動する力になるが、無謀な挑戦や疑似問題を延命させてしまう場合がありうる。

近代社会は、世の中のほぼあらゆる事柄を市場経済の原則に合うように変換・書き換え・組み替える方向で進んだと言えるのだろうし、20世紀を席巻した労働者一党独裁の共産主義プロジェクトも、サステイナブルではないその一変種だったということで決着しつつあるように見える。

文化と呼ばれる領域は、市場経済の教科書的な原則ではうまく運用できそうにない事柄を押し込める場所であるかのような感じがあって、だから、市場経済を敵視するタイプの言論がここから繰り返し発生しているけれど、市場経済には「教科書的」ではない手練手管(必ずしも「不正義」とは言い切れないような)が色々あるようで、文化は経済と対立する、という単純な構図ではなかろうと思う。

東浩紀が、自己資金で自らがオーナー社長になって会社を経営して、自社で発行する書物のなかで「ポストモダニズムの徹底にしか活路はない」と宣言するのは、「悪い場所」に押し込められてしまっている文化の諸相を、こうすれば、もっとエレガントに市場経済に接合できるはずだ、と遂行的に提言しているんだろうし、おおむね、そういうことになっていくんじゃないですかね。

○○年やって、諦めるか諦めないか、というのも、そういう文脈で考えるのがいいんじゃないのかな。

能勢妙見山

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数日前「ちかくにかくれているゴマゾウ」を探していたら、向かって右手の茨木の竜王山から中央左寄りの能勢・箕面のあたりまで、大阪の北の稜線を一望できる崖に出た。iPhoneのパノラマなので方角がわかりにくいが、右の山の向こうは京都の亀岡で、左のなだらかに下る稜線を越えると兵庫の川西だ。

昭和の半ばくらいまでは、山間の平地を通る旧西国街道のあたりでも視界を遮るものはなかったのだろうけれど、今は国道沿いに倉庫が並んでいるし、合間に山並みが見えたとしても、たいてい電柱と電線がかぶってしまう。家の近所でこういう場所はなかなか見つからない。(ゴルフ場の跡地を造成した住宅地のへりです。)

大栗裕は中学生の頃に父親と妙見山に登って、そのとき父親(徳島出身)が歌った御詠歌の記憶を雲水讃の第2楽章(改訂稿の第1楽章)にしているが、坂田三吉が家の屋根の物干しから妙見山を拝んだ逸話があるから、かつては大阪市内からでも見えたのでしょうか。どの頂が妙見山なのか、GoogleMap と照合しても、私にはよくわからないのだけれど。

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鉄道が突き刺さっている淀川が北摂の南の境界、なだらかな稜線が北摂の北の境界ですね。