位置情報

庄内でFlightrader24を起動すると、どっちの方角からあと何分でどういうヒコーキが飛んでくるのかわかるので、カメラをその方角にかざして写真を撮る。

そうすると、写真アプリはいつのまにか国内線旅客機図鑑になっている。

なるほど、これがGPSを利用した拡張現実ゲームというやつですね(笑)。

もはや十二分にあたり一帯をロケハンして、どこでどういう写真が撮れるか、わかってきたので、最近は、遠方から接近して去って行く30秒のプロセスをいかに美しく撮るか、動画に凝っている。動画だと音も一緒に記録できますしね。

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[追記]

立ち入り禁止区域に入らずにベストスポットを見つけるべく工夫するのは、ヒトとしての基本だよね。瞬間風速の大きさとか、そこから巻き起こる様々な反応とか、Google が新しい領域に手を突っ込んだときに起きるいつものパターンだなあ、という感じがします。

Google が書物を膨大にスキャンしたときは出版業者や図書館に諸々の面倒事を請け負わせたし、スマートフォンに色々な技術が搭載されたときには通信業者やハード会社が面倒事を引き受けざるをえない形になっていて、今度は、その役目をゲーム会社が請け負うわけですね。

そういう風に考えると、期を画したというよりも、Google はどこまでいっても Google である、ということのような気がします。ゲームを含む他業種が、あの会社の掌の上で転がされている。新しい技術が社会に刺激を与えている、ということなのか、Google という面倒を他者に丸投げする体質の会社に振り回されているだけなのか、そろそろ学習して切り分けた方がいいんじゃないか。

情宣

Google の広告手法はどういう風になっているのだろう?

リアルなご当地ゆるキャラを公共団体が売り込むときのように(親戚がある自治体でいまそういう仕事の担当になっているのだが)代理店が間に入って……というダイレクトな手法とは何かが違うのかもしれないけれど、このあまりにも効率的な情報の流れ方は、ユーザの口コミにまかせている、というのとは違う感触なのだけれど。

新日本音楽の戦後復興:長唄交響曲の1960年再演について

山田耕筰 長唄交響曲《鶴亀》

山田耕筰 長唄交響曲《鶴亀》

  • 作者: 山田耕筰,日本楽劇協会,久松義恭,クラフトーン
  • 出版社/メーカー: 東京ハッスルコピー
  • 発売日: 2016/07/20
  • メディア: 楽譜
  • この商品を含むブログを見る

山田耕筰の長唄交響曲「鶴亀」のポケットスコアが届いた。

既にナクソスのCD等があるけれど、巻末の解説で、戦災を逃れたパート譜からスコアを再構成して、山田耕筰の晩年1960年に再演されたことを知る。歌劇「黒船」が大阪国際フェスティバルで再演された年で、しかも、このときの指揮が森正だったらしい(国際フェスの黒船の指揮は朝比奈隆)。翌年、芸術祭に朝日放送が出品した大栗裕「雲水讃」の放送初演を指揮したのも森正なので、とても他人事とは思えない。

ただし、この関連を解きほぐすには、何段階かの手続きが要りそうだ。

山田耕筰:長唄交響曲「鶴亀」/交響曲「明治頌歌」/舞踊交響曲「マグダラのマリア」

山田耕筰:長唄交響曲「鶴亀」/交響曲「明治頌歌」/舞踊交響曲「マグダラのマリア」

さしあたり、1961年に「雲水讃」を指揮したとき、森正には、邦楽器と西洋管弦楽を組み合わせたり、日本の民謡や近世邦楽を管弦楽に編曲したりするときの具体的な諸問題について、一定の経験があったことになる。

大栗裕の作品は作曲者自身が芸能を五線に採譜して管弦楽に編曲しているので、長唄交響曲のように、邦楽器の演奏を把握するために既存の演奏譜を参照しつつ(長唄交響曲の解説では、具体的にどの演奏譜が作曲・演奏のレファレンスになったのか、ということまで特定されている)、そのうえで、目の前の邦楽器の共演者の実演との食い違いを調整しながら合奏を進めていく、といった問題は生じないが、そういうことを既に経験していた森正であれば、作曲者から提供された五線譜(指揮者用の総譜)の手前にある芸能の実際がどういうものだったのか、というところまで遡って情報を得ようとしたとしても不思議ではない。「雲水讃」の森正による初演と朝比奈隆による再演のテンポ設定の違い(森正の演奏のほうが元の芸能のテンポに近い)は、このあたりを手がかりにして、説明できるかもしれない。

ただし、長唄交響曲と大栗裕の「雲水讃」を関連づけようとすると、大栗裕自身が、この作品以前に邦楽器と管弦楽の合奏(しかも山田耕筰と同じく邦楽古典曲の編曲!)を手がけていることを踏まえる必要がある。

大栗裕が、古典曲に管弦楽をどのように組み合わせているか、その場合、指揮者用の総譜(朝比奈隆などが振った)に邦楽器パートをどのように記載しているか、山田耕筰の例と比較してどういうことが言えるか、要調査である。

しかしそうなると、これはもう、山田耕筰と大栗裕の直接の比較ではなく、邦楽器と管弦楽の合奏、大正期以来のいわゆる「新日本音楽」の潮流の全体像を視野に収めて考えないと仕方がなさそうだ。(大栗裕に邦楽器とオーケストラの合奏曲の編曲を依頼したのは、関西の宮城流の邦楽団体です。)

邦楽器と管弦楽の合奏では、指揮者が両者をつなぐ蝶番の位置になる。指揮者用の総譜を準備したり、実際の演奏を進めるときに、邦楽器パートがどのように記譜・把握されていたのか、そういう視点で、長唄交響曲からノーヴェンバー・ステップスまでを串刺しで比較・概観しておいたほうが良さそうですね。

邦楽器を用いない管弦楽編曲における日本の民謡・伝統音楽の採譜の特質は、そのような取り組みの系譜を踏まえたうえで考えた方がよさそうだ。

(邦楽器との合奏を interpreter(解釈者の意味と同時に翻訳者の意味がある)としての指揮者はどのように処理したか、そういう視点から、山田耕筰、近衛秀麿に遡って、尾高尚忠、森正、外山と岩城、小澤と若杉を概観する指揮者論、というのも、ひょっとするとあり得るかもしれませんし。)

ザ・インタープリター [DVD]

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そしてそのような技術論とは別に、長唄交響曲の再演が1960年だった、というのが気になる。

山田耕筰にとっては、何かの記念年だったかと記憶しますが(手元の資料をあとで確認します)、戦後、文部省(のちに文化庁)の芸術祭があったりして、邦楽界には、かつての新日本音楽の蓄積を原資とする「戦後復興」的な動きがあったように思えるのです。たぶん、長唄交響曲の再演は、単独にポツンとあるのではなく、周囲の動きのなかに置いて考えることができるトピック、という気がします。

芸術祭は、立ち上げから今まで、ほぼジャーナリズムに誉められたことは一度もないんじゃないかと思える「鬼っ子」ですが、実際には、そうした息の長い/気の長いてこ入れがあって、そのインフラの上に武満徹や諸井誠の「前衛邦楽」が出てきたのではなかろうか、と思うんですよね。現在の芸術祭音楽部門では、そのような「前衛邦楽」が、いわば現代の古典として頻繁に取り上げられますし……。

(リサーチの効率という観点では、こういう課題こそ、プロジェクトチームを組んで集中的に「共同研究」するのにちょうどいいんでしょうけどねえ。東大で貴志康一や朝日会館に取り組んだグループの皆さんとか、時間とやる気のある若い人が、勝手にどんどんやっちゃってもいいんじゃないかと思います。)

拡張現実

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オペラを観て、会場を出たら前の広場に「P」の人たちがたくさんいて、帰宅すると、家の真横の給水塔(もはや使用されていない)が、自宅からクルクル回して水ではないものを事実上無尽蔵に補給できる場所であることが判明した。

今日観たオペラが、妖精たちの飛び交う真夏の夜の夢だったのは偶然だが。

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