本岡浩子 チェンバロとフォルテピアノの夕べ

ザ・フェニックスホール。お話を交えながらのスタイルで、その語り口は、豊かな情報量を含みつつ、演説口調にならない上品なものでした。

後半のシュタインを使ったモーツァルト(ニ短調幻想曲ニ短調)とハイドン(変ホ長調ソナタ)が、楽器の特性を知り尽くした素晴らしい演奏でした。ハイドンは軽い響きのシュタインやシャンツを好み、モーツァルトは、ウィーンで、むしろ、より重い響きのワルターを弾いていたとのこと。ハイドンの鍵盤作品は、楽器の問題だけでなく、いわば自室の延長のようにくつろいだ環境で、一小節ずつ、本のページをめくるように弾き進めるスタイルが合っていることを再確認しました。

コンサート・ピアニストの方々によるフォルテピアノを弾く機会が増えてきましたが、そういう人たちが、周到に準備し、全体を見通して仕上げてしまう演奏スタイル(その一番の特徴は、いわゆる新即物主義的なイン・テンポ)から、なかなか自由になれないのを見るにつけ、こういう良質のディレッタンティズムを取り戻すことは、いわゆるピリオド演奏にとって、非常に重要なテーマではないかと、最近、よく思います。