[2/14 少しずつ加筆するうちに、吉田秀和先生を降臨させつつ、最後は大植・大フィルの話で終わる文章になってしまいました。]
- 作者: ロラン・バルト,篠沢秀夫
- 出版社/メーカー: 現代思潮新社
- 発売日: 1967/07/31
- メディア: 単行本
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白石 今日は、ぜひ、みんなに意見を聞きたい問題があるんだ。関西や大栗裕の話をする僕のことを、今の人たちはライトな右傾化に棹さしていると考えているんじゃないか? すなわち、もっと「国際的」なことを書いたほうがいいんじゃないか、っていう《疑い》についてなんだ。
- 作者: 小澤征爾,武満徹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1984/05/29
- メディア: 文庫
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……と、誠に僭越ながら上の対談本の文体模写をしてしまいましたが(下敷きにしたのは193頁の武満徹の発言)、先日、心斎橋のYAMAHAへ行ったら、オザワ&ハルキの本と並んで平積みしてあったので、あれまあ、こんな昔の本まで復活したのかと驚きつつ買ってしまいました。
編集部の注釈によると、
本書は、一九七八年五月八日、一九七九年十一月十六日、十二月二十日の三回、十時間近くにわたって行われた《対談》を、新潮社編集部の責任において整理・編集し、武満・小澤両氏の加筆訂正を経たものです。
単行本刊行は1981年(昭和五十六年四月)で、新潮文庫の初版は1984年(昭和五十九年五月二十五日発行)、私が先日入手したのは「平成二十二年十月十五日十四刷」となっています。
単行本を、高校生のとき友人から借りて読んだ記憶があります。今回再読して、音楽に関する諸々のエピソードはほぼ記憶どおりだったのですが、全体のトーンがこんな風だったか、とやや意外でした。
このエントリーのタイトルにも掲げましたが、20代で日本を飛び出した指揮者と、日本より先に「外国」で評価された作曲家による日本論・日本人論・日本の音楽と音楽家論と括ることのできそうな話題が多く、
全体として、
「日本人は勤勉だけれども、音楽を文化として受け止める余裕がない」
という論になっているのでした。
そういえば、この対談の少し前、1977年には小澤と広中平祐の対談本(ほぼ教育論)があって、これも同じ1984年に新潮文庫に入ったんですよね。
- 作者: 小澤征爾,広中平祐
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1984/10/29
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たしかに、こういう時代だったのかもしれません。そしてこのあと、子供をインターナショナル・スクールへ通わせるとか、「文化の余裕」を持とうとする80年代バブルが花開いたのでした。
オザワは、この対談を仕掛けて編集した80年代の新潮社編集部にとって、「国際化」のアイコンだったようですね。
大植英次が小澤征爾に直訴して単身渡米したのは1978年。ちょうど武満徹と小澤征爾がこの本のための対談をはじめた頃ということになります。なんか、わかるような気がします。大植さんにとっての「日本」は、この頃で止まってるようなところがあるのかもしれませんね。
- アーティスト: 大阪フィルハーモニー交響楽団大植英次,ブラームス,大植英次,大阪フィルハーモニー交響楽団
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そしてかつて相愛の学生時代に斉藤秀雄と衝突した五嶋節さんが、ドロシー・ディレイを頼って長女と渡米するのは1982年。
- 作者: 奥田昭則
- 出版社/メーカー: 小学館
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アメリカに渡る人は、なんといっても20世紀に世界の覇権を握った国ですから絶えずいると思いますが、1970年代後半から1980年代前半は日本のクラシック音楽家が北米で勝機を掴みやすい巡り合わせだったように見えますね。
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ここで小澤&武満が指摘している日本のおかしさ(日本の役人は「僕たちが外国で何をしているか全く気づいていない」)は、内向きの日本vs国際社会という典型的な日本人論の構図を踏襲してはいますが、
同時に、海外へどんどん進出する民間企業を役人がサポートできていないという「官」対「民」の話とも読めそうです。例えば、小澤征爾は、日本でも(自分の母校を誉めるわけじゃないけど)桐朋はよくやっている、と言いますし、
(海野義雄が「ガダニーニ事件」で逮捕されたのは、この本が出た年の終わりの1981年12月8日(←奇しくもパール・ハーバーの日)。藝大の先生が狙い撃ちされて、桐朋ヴァイオリン科教授・江藤俊哉の株が相対的に上がることになっちゃいました。この頃から、1980年エリザベート王妃国際コンクールの堀米ゆず子、渡米してジュリアードへ入った竹澤恭子など、桐朋出身の女性ヴァオリン奏者が続々と出て、1990年、諏訪内晶子のチャイコフスキー・コンクール優勝へ至る……。)
あるいは、大阪でやったオペラは面白かった、と発言するというように、小澤の発言は日本の民間団体に可能性を見いだす流れになっています。
(大阪のオペラと小澤征爾が言っているのは、1979年の小澤征爾指揮・関西二期会・関西歌劇団の合同公演の「トスカ」ですね。大阪では、この対談本が出た翌年に朝日放送がザ・シンフォニーホールをオープンしています。このホールの「残響2秒」は、開館時のドキュメンタリー番組で、小澤征爾(=本番前に必ず「木」に触る人であるらしい)がホール内でパンパンと手を打って音を確かめる姿によって印象づけられたと言ってよい。その後、このホールへ行くと、みんな「パンパン」と手を打ったものですね(笑)。)
また、武満徹は、日本にアメリカ蔑視があると言いますが、1970年代後半というと、ベトナム戦争で合衆国が疲れていた隙に親中&列島改造(ディスカバー・ジャパン)路線を狙った田中角栄が潰されて、基地の街の村上龍が出てくる時代。オザワ&タケミツ対談(1978〜1979年)は、年表の上では、「かぎりなく透明に近いブルー」(1976年)から「コインロッカー・ベイビーズ」(1980年)へ村上龍が展開する時期になされていることになるようです。かつて石原慎太郎を擁護した江藤淳が村上龍や田中康夫に好意的で、1975年に江藤の推薦で柄谷行人がイェール大学へ行く、というように、文壇には愛憎半ばする北米人脈みたいな系譜がありそうですね。ここにオザワ&タケミツ対談をセッティングした新潮社はどう絡んでいるのか……。
(あと、YMOの結成が1978年で、「ワールド・ツアーの成功を国内へ逆輸入」というマーケティングを展開したのが、まさに1979年。)
そして最初に文体模写したように、二人の話体はものすごく「若い」です。1935年生まれの小澤征爾が単行本刊行時で満46歳、武満徹が満51歳なのに、まるで『ボクの音楽武者修行』(1962年=小澤27歳の時の本)から何も変わっていないかのようです。
本人が20代の頃の口調のままである(今もそういうところがある)ということも、ひょっとするとあるのでしょうけれど、問題は会話そのものではなく、「会話として書く」(正確には編集サイドによって「対談」として仕上げられる)ときの書き言葉の文体だと思います。そしてこの話体は、歴史的に成立・普及年代を特定できる「創られた」ものではないか、という気がします。
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具体的には、二人とも、まるで吉田秀和の文章みたいな話体だなあ、と今回私は思いました。吉田秀和が彼の文体を「創った」のは欧米帰国後の1950年代半ばだと言っていいでしょうから、当時20代だったオザワ・タケミツの会話が「吉田秀和文体」(仮称)なのは計算が合うんですよね。
どうやら1960年代以後の日本語のエクリチュールでは、若くて優秀な音楽家は吉田秀和文体で語るものである、という法則が成り立ちそうな予感がします。吉田秀和にとって、あの文体は戦争によって凍結し持ち越された青春を日本の敗戦・再独立後にエクリチュールとして遅れて取り戻す営為だったと推定されますが、
40代の吉田秀和がヴァーチャルな青春の言葉として編み出した文体が音楽ジャーナリズムで「若者語」に採用された、という経緯がありそうです。(オザワ&タケミツ対談を出した新潮社の『芸術新潮』は、長らく吉田秀和のホームグランドだったわけですし……。)
そしてもうひとつ。
小澤征爾はこの「対談」で、しばしば満州や日本にいた若い頃の天真爛漫なエピソードを紹介するのですが、両親に連れられて知り合いの家でレコード鑑賞をしたり、仲間たちと賛美歌を歌ったり、気をつけて読むと、いちいち、山の手のお坊ちゃんなんですよね。そして山の手のお坊ちゃんが大学を飛び出して日の丸スクーターでヨーロッパへ渡るのは、たぶん、当時の感じだと「太陽族」だと思います。
堀江謙一(当時芦屋在住、お坊ちゃんというのはちょっと違うかもですが)がマーメイド号で太平洋単独横断航海をしたのが1962年で、こちらはヨーロッパではなくアメリカへ、スクーターではなくヨットでの単独出国ですが、「太平洋ひとりぼっち」の映画に主演したのは石原裕次郎で、音楽は芥川也寸志と武満徹ですから、「永遠の20代=太陽族」説も計算が合いそうです。
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(で、こういう方々に対応する女性タレントさんが、斉藤秀雄がいた頃の新響コンマスの娘さんでございますのでございましょうか。『トットちゃん』は講談社から1981年3月5日刊行ですから、オザワ&タケミツ対談の1ヵ月前に出たことになります。黒柳徹子は1933年生まれで、武満徹の3つ下、小澤征爾の2つ上ですね。)
- 作者: 黒柳徹子
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バブルの80年代というと、中曽根長期政権&『「NO」と言える日本』(@石原慎太郎)で、『「NO」と言える』はソニーの盛田昭夫との共著。そして武満徹は晩年、ソニーの大賀典雄が寄贈した八ヶ岳のホールで音楽祭をやっていたわけで……。
これって結局、成城や湘南のお坊ちゃんが自由人として名を上げてセレブリティになる、っていう通俗的な話になってしまっているんですよね。
で、こういう人たちこそ、吉田秀和文体を「役割語」として身にまとうのが似合うとされている……。セレブな人たちは、1980年代を目前にして50歳、60歳、70歳になっても「永遠の20代」を保つ不老不死の話体を獲得した、ということであるようです。
(なんといっても、ご本尊の吉田秀和先生は、あと一年で生誕100年なのですから、不老不死のご神体としてこれに勝る方はいらっしゃいますまい。いっそ、「サザエさん」や「ドラえもん」のように、作者の肉体の限界を超えて、「音楽展望」と「名曲の楽しみ」を未来永劫、ヴァーチャル秀和が存続させる、ということを朝日新聞やNHKは考えてもいいのではないか。代替わりは、三次元世界における肉体の限界を越えたところで、同じ役割を演じる「声優の交替」として執行すればいいのではないか。それこそが恒久平和の戦後マス・メディアの責務、高度情報社会への適応などより重要な21世紀の課題、かもしれませんよ!)
憲法九条は人類の未来への無償の贈与なのです!
- 作者: 柄谷行人
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座談・対談は、本人が話している体裁ではありますが速記録ではなく編集されていますし、そこには、現実に話したとおりではないかもしれない「役割語」が入り込む余地がある。そして「吉田秀和文体」を話す「役割としてのクラシック音楽家」は、随分「山の手」っぽい感じが強そうです。
「だったら、俺の出る幕じゃねえや、ちっきしょー!」(と夕日に向かって荒川の土手を走り去る桜中学三年B組、笑)
こっちの本の「小澤征爾さん」は、ハルキ氏が編集する以上当然ですが、吉田秀和文体とは違う話体になっていますね。
- 作者: 小澤征爾,村上春樹
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(そういえば「のだめ」の人々はどんな話体で会話していたんでしたっけ……。
「グローバルな人材が求められている」と今一生懸命言っている人たちがいると伝え聞きますが、それを言っているのは「太陽族」の時代の人だったり、さもなければ、『「NO」と言える』の時代の人だったり、あるいはその子供の三代目だったりするのでしょうか?
- 作者: 橋本健二
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内向きな日本と開かれた外国、進取の気概溢れる「民」と旧態依然の「官」、沈み行くニッポンから脱出する「勝ち組」たち……。どうも同じ話の反復で新味がないように見えるのですが、でも、「永遠の20代」だから、いつまでも変わらぬ若さ、とそういうこと?
「外国」へ出ていく人たちひとりひとりは、それぞれ人生を賭けているはずで、それぞれの方には最大級の敬意を払いますが、だからこそ、そうした方々を日本の国内向けに表象するやり方と語法がステレオタイプにはめられてしまうのは、もうちょっとやりようがありそうなものなのに、と思う。アメリカは決着済の対象ではなさそうですね。
そして「吉田秀和文体」には回収できそうにない大植英次さんが、「役割としての関西」(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20120128/p1)に尽きる団体だとは思われない大阪フィルを音楽監督として指揮する最後の定期演奏会は、もうまもなくでございます。)