次は「音楽事務所の社会史」でどうか?

NHKの新年のオペラ歌手番組の「席次」(選曲と出演順)は、誰がどうやって決めるのだろう。

「トリを務めている人は、きっとオペラ界の北島三郎や小林幸子なんだわ」と無邪気に信じるオバサマがいると思うので、番組の成り立ちを可視化するジャーナリズム(芸能界では少し前まで一大ジャンルであったような)があってもいいんじゃないだろうか。

紅白歌合戦と日本人 (筑摩選書)

紅白歌合戦と日本人 (筑摩選書)

同じような人が同じような曲目を全国各地のオペラ・ガラ行事で歌っている事実は、「席次」が放送局の独立した判断というわけではなく、手配師の存在を推測させるに十分だと思うのだけれど……。(←公共放送は公正中立であるべき、の立場からこれを教条主義的に批判する意味で言うのではなく、事実として色々ありそうに見えるから、そのモヤモヤをはっきりさせたい、ということです。)

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オーケストラの社会史、ピアノの社会史、楽譜の社会史、「楽聖」の誕生、音楽史の誕生など、クラシック音楽を「制度」として支えている諸々を「可視化/見える化」する研究分野があって、具体的には、あの先生、この先生、と名前が浮かぶわけですけれども、次は「音楽事務所の社会史」じゃないでしょうか?

奇しくも、この分野でご活躍のあの先生とこの先生は、相前後してマインツ大学の同じ先生に身を寄せたわけですが、あの街は、ワーグナーの出版社ショットの本社があって、山の上には国営放送ZDFがあって、マーリンク先生は、ザールブリュッケンから移った早々に学部長になり、国際音楽学会の会長になって、その種の「行政手腕」に長けた「やり手」で、あの先生のところにいるのは、音楽が「制度」として稼働する様子を知るのにうってつけ、というところがあったかもしれない。

音楽事務所/マネージャーの話をするのは、みんな、なんとなく「恐い」と漠然と思っちゃったりしているところがあるわけですから(怒らせたら干されるんじゃないか、とか)、ここはやはり、もはや恐れるものがない「その分野で一番声の大きい先生」が口火を切るのが、いいんじゃないでしょうかっ。

とりあえず日本国内の「今」については知らんぷりして、ヨーロッパの「音楽マネジメントの歴史」を実証的に記述すれば、自ずとそこから話は転がり始めるはず、と思うんですけど。

「東大系」な先生方は、現代であれ古典であれ、西欧であれ日本であれ、作曲家論という保守本流へ回帰して教養主義に収まりそうな気配ですし、「音楽批評」は、作文が上手で偏差値&文化資本の「卓越性」が売りの吉田秀和チルドレンな方々によって独占されちゃってます。

(なんだかんだ理屈を言うけど、紙の出版社というのは「賢こくて美しい文章」=言葉の才色兼備、を美しく造本したい、その欲望で生きる種族なのだと思う(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20131228/p2)。それは「映像作家」がリクツを色々つけながらも美男美女を撮るときに一番テンションが上がるのと同じ生理。 → http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20140102/p1

「藝大系」は、上手にビジネス最前線な方々の了解を得ながら、音楽マネジメントの史的研究を手堅い実証で攻めるのがいいんじゃないでしょうか。実学としての音楽学、これならきっと、真のグローバル人材も育つはず。

カラヤンとウィーン国立歌劇場 1956-1964

カラヤンとウィーン国立歌劇場 1956-1964

  • 作者: フランツエンドラー,カール・ミヒャエルフリットフム,浅野洋
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オペラに「国際マーケット」が出現したのはそれほど古い話ではなく、カラヤンがウィーン国立歌劇場在任中の1956-1963年に劇場を「市場開放/グローバル化」しようとしたのは、この人のその後のキャリアを考える上でも重要なポイントのような気がします。

訳がこなれていなくて、所々読んでいて不安になりますが、後半は原書の各種資料をそのまま掲載しているので、それを使う分には、大きな問題はなさそう。

カラヤン独りの話ではなく、どうやらオペラ界には「55年体制」成立に似た大きな再編がこの頃各国で同時平行的にあったように思われます。音楽をどのように「マネジメント」するか、の話は、こんな風に、オペラを含めて考えないと全体像が見えないんだろうなあ、とも思う。そしてそこが面白そう。