商品は通常、買ったら家に持ち帰るので、自分(の好み)に合う、合わない、というのが、たぶんかなり大事な判断基準になる。
音楽も、CDを買うときにはそれに近いかもしれない。この音楽、このジャケットが自分の部屋にあるのは嬉しい、とか、ちょっとこれはいかがなものか、とか。
でも、コンサートは、チケットを買っても自分の手元には何も残らないんだよね。(チラシやパンフレットくらいは残るが。)
ということは、むしろ、家には入りきらないサイズの何かを目撃したり、家の中ではとても経験できないし、したくないかもしれない何かを体験したり、ある種のまがまがしいものが、コンサート(家の外)だからこそ、アリだ、という風になり得たりはしないものか。
家でCDで聴いて十分に楽しめているものを、わざわざ、外へ出かけて行って反芻することはないかもしれない。
「今敢えて交響曲」という言葉を目にして、記事を見たわけではないけれども、ふと、そんなことを思った。
映画も大スクリーンの醍醐味というのが大きいわけだし。
そんな風に考えていくと、「目線を下げる」とか「家庭用」とか「小は大を兼ねる」というのとは違う発想に転換することができたりしないか。
ハーモニーが一面に広がる、というのも、家の中では普通、無理なことだしね。
実は私たちが求めているのは「等身大の何か」というのとは違ったりするかもしれないわけだ。
興行を打つ者が先方の懐へ入る、飛び込むというより、興行へ人を引き込む、巻き込む、招き入れるその吸引力は何なのか。
シンフォニーは、ドイツでその魅力が語られ始めた頃のキーワードは「引きさらう力」、「崇高」だったりしたらしいんだよね。
(最近、とある仕事の打ち合わせで、どういうわけか北摂の昔からの「地の人」には、反対に外の人間を自分たちの内々のペースに巻き込もう、引き入れようとするメンタリティがあって、独特だなあと思ったばかりではあるのだけれど……。
北摂は、大きな街道筋から道が分かれて、ちょっといくと、ひっそりと当人たち以外からはめったに意識されない集落がある、とか、そんな土地柄なんだろうと思う。京都にも大阪にも近いから、どうしても、というときだけ外へ出たり、必要最小限の人を必要なときだけ呼べば、特に不自由はしないし、さほど世間に立ち後れるわけでもなく、代々のそれなりの歴史や来歴があって結構プライドが高かったりもする。仕事や何かで、京都や大阪とのつながりは十分にあるしね。
「清須会議」とか「軍師官兵衛」とか、そのあたりの天下取りの内実は、尾張や三河あたりから関西へ進出した企業の幹部たちが、どうやって摂津や播磨や近江あたりのカタツムリな人たちを味方に引き入れて多数派を形成するか、という話でもあるかもしれない。結局、徳川は、こいつらとはつきあいきれん、と判断して、江戸に幕府を開いたわけだが。
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上に新興郊外住宅街が被さっているから、わかりにくくなってはいるけれど、そんな風に、めったに角を出さないカタツムリみたいなメンタリティの人たちがわざわざ街へ出てくるのはどういう時か、みたいなことを考えないと、市街地だけではない広い意味での大阪は、動かないのかもしれない。
(そしておそらく昭和の洋楽は、こういうところまで浸透して、がっちり人をつかんでいたから、足腰が強かったんだろうと思うんですよね。オペラもオーケストラも合唱も、ピアノやヴァイオリンのお稽古文化も……。「第九ブーム」はその典型だったのだろうし、「なんでか知らんけど、フィガロをやると客が入る」というようなことを、その当時は言われていたらしいですな。そういう種類の「華」が、人を引き寄せたみたいですね。
やたらめったらツンツン突くと、殻に閉じこもって出てこなくなっちゃう層というのが、大阪には(大阪にも?)想像以上に大きく裾野を広げているのだよ。
朝比奈隆は東京から迎え入れたプリンスみたいな人だったけれど、これをサポートした野口幸助は、北摂じゃないが奈良で育っているし、現代音楽では茨木の松下眞一を起用した。大栗裕は枚方に住んで宇治や寝屋川の人とつきあいがあった。そして大フィルには、今でも近隣の市町村とのつながりの痕跡が色々見える。大阪響が河内長野や堺と提携しながら、大阪市内で突っ張った取り組みをしているのは、そのミニチュア版という感じかもしれない。大阪市という「お城」に立てこもるだけだと、良質の小ホールならともかく常にジリ貧の危険があって、ここは都市の構造が、外で規模を確保するようになっとるんやと思う。城東の大作曲家のイケズ、というのも、ちょっとカタツムリっぽいとこがありそうやし……。アーチストは遠くから呼んでくれたら華やかでええけど、潜在的なお客さんは、そこらへんにしかおらへんで。
カタツムリは、パサパサの乾いたとこには行かれへんし、ちょっと突っつかれたら首をひっこめるけど、周りがエエ具合の湿り気になると、自分からにゅるにゅるっと出てきまんねん(笑)。そして結構たくさん卵を産んで、繁殖力があるんだよね。
都構想とか府市統合というのも、本来的には、そういう府下の広い裾野と中心の市域をどう円滑に結びつけるか、という話だったはずなんですよね。(あの人たちがツンツン突きすぎるもんだから、かえって話がこじれたけれど。))
何回も紹介するけど、この本はホンマ大事なことが書いてあるで。
- 作者: 砂原庸介
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