個人崇拝

日本とは、とか、日本人とは、とか、資料や遺跡から千年以上の歴史がある広大な土地の特徴を一発で言うことが可能なのかどうか、私にはさっぱりわからないけれど、

各種統計などで、「団塊の世代」と呼ばれる戦後生まれの人たちが、この島のなかで、ずっと「最大派閥」であり続けているらしいことは、確かな事実なんだろうなあ、と思う。

そうすると、自民党が長期政権の気配なのは、「団塊さん」が長老化して今や盤石なのと、どこかで相関している可能性がある、くらいに考えたとしても、「データサイエンス」(←バズワードじゃないかと評判が悪いが……)的に、無理筋ではないのかもしれない。

で、なんでか知らないけれど、皆さん、「個人崇拝」が好きですよね。

しかるべき「歴史」を想定しようとすると、賛否両論あるにしても相当な足跡を残したと言えそうだし、何よりも今生きているキーパーソンな人たちがこぞって「恩師」と敬愛している人物がいて、その人物の名前のついた音楽行事が今も毎年続いている。

でも、それが、どうやら、「そんな既に死んだ人の名前じゃなく、今生きてる大スターの名前にすればいいじゃない」ということで、改名の予定であるらしい。

これってなんだか、都市名や通りの名前を現在の為政者・独裁者の名に変えちゃうのと、そっくり同じことじゃないですか(笑)。

そして思えば、「団塊さん」が物心ついたころは、20世紀を代表する独裁者さんたちが、ユーラシア大陸の広大な領域を手中にしていた時期だったりするわけで……、「団塊さん」は、ひょっとすると、「生き神様」にひれ伏す感じがお嫌いではない、ということなのかもしれない。

何百年も前に死んじゃった脚本家や作曲家がどれだけ偉かったか知らないけれど、そんなことより、あたしにとっては、今目の前にいるこの歌手さんや楽員さんや指揮者さんに気に入ってもらえるかどうか、それこそが最重要の問題なんだよ、っていう風にぶっちゃけてしまうのも、構図はほぼ同じだと申せましょう。

「ネオ社交界」ってそういうことですよね。

で、「団塊さん」のジュニアあたりの人たちには、思春期のサカリでキャーキャー言ってるだけかと思ったら、30歳になっても40歳になっても、同じフォーマットで追いかけたり、「推し」たりする、それぞれのカミがいるみたいだし。

なんか、そういうところだけを取り出すと、すごいことになってるような気がしてきますな。

崇拝「される側」になっちゃった当人たちは、むしろ冷静で、そういうのをアホくさって言いそうなんだけど、こういうのは、流されて止まらなくなっちゃうことがありそう……、というよりも、勢いで押し切る、かつての成功体験があって、今度もいけるだろうっていうことだろうから、懲りないだろうと思うんだよねえ。